海部城(かいふじょう)

海部城の基本情報

通称・別名

鞆城

所在地

徳島県海部郡海陽町鞆浦山下

旧国名

阿波国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

海部友光

築城年

永禄年間(1558〜1570)

主な改修者

主な城主

海部氏、蜂須賀氏

廃城年

寛永15年(1638)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀

指定文化財

町史跡(海部城跡)

再建造物

周辺の城

加島城(徳島県海部郡)[4.8km]
牟岐城(徳島県海部郡)[10.3km]
野根城(高知県安芸郡)[13.2km]
日和佐城(徳島県海部郡)[22.3km]
佐喜浜城(高知県室戸市)[26.0km]
仁宇城(徳島県那賀郡)[32.4km]
安田城(高知県安芸郡)[37.7km]
森遠城(徳島県美馬市)[39.3km]
上山城(徳島県名西郡)[41.4km]
安芸城(高知県安芸市)[42.2km]

海部城の解説文



海部城(かいふじょう)は、徳島県海部郡海陽町にあった日本の城。別名は鞆城。海陽町指定史跡[1][2]

概要 

永禄年間(1558年 - 1570年)に海部友光によって築かれたとされる[3]

元亀2年(1571年)、長宗我部元親の弟である島親益の船が突風を避けるために海部城下の入江に入った。その為、当時の海部城主であった海部友光は親益の船を襲って親益を殺してしまう。

天正5年(1577年)、弟を殺され激怒した元親が海部城を攻略する。

江戸時代に入ると、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城となったが、一国一城令により寛永15年(1638年)廃城となる。

その後は海部郡の代役所が置かれ、文化4年(1807年)に現在の美波町に移されるまで繁栄した。

参考文献 

  • 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
  • 『阿波新田氏』開国堂印刷所、1937年。
  • 『牟岐町誌』徳島県海部郡牟岐町、1936年。

海部城の口コミ情報

2024年08月11日 小太郎左衛門督南畿道19國守
海部城



旧海部中学校体育館裏駐車場が海部城跡駐車場となっており、普通車5台余りが駐車可能で、矢印案内板で誘導されていて、城跡説明文、登城用杖が設置されている。湾を押さえると共に、山城としての機能を併せ持ち、階段、手すり替わりのロープが設置されており、二段積石垣など遺構も残存し、主郭部には10分程度で到着できた。関係者の強い努力が感じられる。8月10日訪問。

2024年02月12日 竹中播磨守じゅん兵衛
海部城



鞆奥漁港海浜公園の駐車場(無料)に車止めて南側から登城、急勾配な所はロープ設置されてるので有り難し。あっという間に主郭跡(本丸)に到着、景色が綺麗すぎます。

2023年06月18日 天道式部卿早雲
阿波海南文化村・海部刀展示[海部城  関連施設]

海陽町の歴史・文化・文化財などについて展示されています。お城に関する展示などはありませんが、海部刀の展示には目を引かれました。

海部刀は海部城城主も自ら鍛造することもあり、鎌倉から戦国時代を通じて実用刀(海賊刀)として重宝されたそうです。銘「岩切海部」は歴戦の業物で三好長慶をはじめ三好家に伝来し、その後黒田家に伝わり所蔵されているとのこと。

長宗我部の侵攻による落城後は刀工達も各地ばらばらになったそうですが、江戸蜂須賀時代に呼び迎えられ、幕末まで阿波藩お抱えとし刀工一派として存続しました。

古刀・新刀と展示されていますが、昭和生まれの刀工による現代刀もインパクトのある見た目ですごく良いですよ。特に刀剣ファンにはおすすめです。また、名物料理半田そうめんも美味しかったです。

大人300円
駐車場・トイレ完備
バス停あり
DMV阿佐鉄道停留所
阿波海南駅より徒歩15分ほど

2023年06月18日 天道式部卿早雲
苔アート[海部城  その他]

海部城の南側登城口から徒歩5分ぐらいのところにあります。日が当たりにくい、苔びっしりの法面を利用して作られたものだそうです。実物を見るとかなりビックリするかと思います。手入れも大変だろうけど丁寧にされていてすごいです。一見の価値ありです。

2023年06月18日 天道式部卿早雲
南側登城口[海部城  その他]



いくつかある登城口の最南端です。北側の体育館裏から登城して、こちら側に降りてくる(反対でも)のが、曲輪、天守跡、石垣、堀切などの遺構が堪能しやすいと、個人的には思います。更に少し歩けば苔アートも見られます。目の前の駐車場は月極なので停めることはできないと思います。
北側の登城口に駐車スペースがあります。

2023年03月05日 尼崎城駿河守一口城主
海部城



[二の丸〜本丸編]2月26日、登城。海部川の方にあった森志摩守のお墓参りをした後に本丸を目指しました。お墓のある曲輪から本丸方面を眺めたところ、もう花🌸が咲き始めていました(写真①)二の丸〜本丸は10分前後とのことでした(写真②)二の丸からは快晴に恵まれ太平洋が良く望めました(写真③)ずっと眺めていたいところでしたが気持ち切り替えて本丸に向かいました。散策中、縄張り名称の表示🪧(写真④⑤⑥)があったので大変ありがたかったです🙇🏻‍♂️帰路は、往路と逆ルートで下ってみました。漁港の付近に下りたようで、海部城下の港に停泊している漁船団⛴がお城散策した直後だったので海部城の水軍に見えてきました(写真⑦)下城後、南下しながら歩いていると海部城も載っている地図があったので載せておきます(写真⑧)

2023年03月05日 尼崎城駿河守一口城主
海部城



[道中〜判形人編]2月26日、登城。当日は四国の歩き遍路に挑戦中で牟岐方面から国道55号をひたすら南下していましたが、海部川にぶつかった所で海側(東側)に進み、海部川と城山を撮影(写真①)海部城の登り口には、説明板、幟、石碑など(写真②③④)があったので迷うことなく登山出来ました。本丸に向かう前に森志摩守と判形人之墓というのが気になったのでお参りしてきました(写真⑤⑥)判形人(はんぎょうにん)については写真⑦を参照願います。お墓のあった場所は本丸から独立した曲輪のように見受けられました(写真⑧)

2023年02月23日 Tsumuko
海部城



登山道もしっかり整備されておりました🏯石垣も太平洋も桜も見れてよかったです✨

2022年05月03日 織田上総介晃司
海部城

旧海部中学校体育館の裏が駐車場となってます。そして駐車場の目の前には搦手の切通が…あるはずだったのだが、主郭への近道を作ると称して破壊してしまった。゚(゚´Д`゚)゚。

城域は整備されており海部小学校の生徒さんが作ったものと思われる案内板がありました。(投稿写真のコメントは案内板に忠実に)

海部城から高知方面の国道55号沿いの道の駅「宍喰温泉」では温泉に入ることができるのでリア攻めの疲れを取るには最適です。

2022年04月16日 583系備前守きたぐに
海部城



JR四国牟岐線終点阿波海南駅から阿佐海岸鉄道DMV(鉄道バス併用車両)の鉄道線で一駅先の海部駅下車徒歩10分で海部中学校跡横の登り口、そこから本丸まで10分程で行けます。

登城路は整備され、石を平らに加工した踏み石を置いてくれていますが、ところどころぐらつくので、下りで走らないように。堀切、土塁の保存状態がよく、手軽に登れ、城からは本州側の海が一望できますので、おすすめしたいです。

なお、DMVは2022年4月現在、土日祝日は全席予約の指定席制、平日は予約優先の定員制ですので、平日も予約した方が無難です。乗らずに阿波海南駅から歩く場合は25分程で登城口に行けます。

DMVの道路走行から鉄道走行へのモードチェンジは阿波海南駅乗車後にするので、モードチェンジを見たいのであれば、帰りに阿波海南下車後、折り返しを待つのが効率的です。世界唯一の営業線なので、こちらもおすすめしたいです。

2022年02月14日 ぼんぼん淡路守じよ太郎
海部城



旧海部中学校裏の駐車場から10分ほどで本丸跡まで登れます。途中、美しい海辺の景色を眼下に望めます。海部町鞆浦の趣ある町並みからも近く、山城らしい土塁や石垣の遺構がよく残っているので是非訪れてみてください。

2022年01月22日 土佐香美真乃佐
海部城



本来の山城の状態が残っていて、実感することができました。

2021年09月18日 土佐香美真乃佐
海部城



かなり広く登りもきつかったが、ロープを張ってくれているので登りやすかった。遺こう跡も残っていて城跡としては素晴らしかった。

2021年02月22日 水野山城守祐利【7】
駐車場(旧海部中学校体育館裏)[海部城  駐車場]

海部城にリア攻めする為の登り口が旧海部中学校体育館裏にあり、そこに地元の方が駐車場を作ってくれています。目の前に見えている土の階段を登ると城です。

海部城は町の裏山と言う感じですが余計な手が入っていないので、遺構がはっきり残っています。主郭には二段に築かれた石垣や土塁が見られます。最近地元の方々が整備してくれています。ぜひリア攻めしてみてください。

2019年01月02日 ポリタンク大和守
海部城

『図説中世城郭事典III』で予習してから臨むと効率がよいように思います。近年の出版物に掲載されている縄張図も、出典を辿るとそこに行き着くようです。

2017年03月22日 橘若狭守次郎吉
海部城

JR牟岐線・阿佐海岸鉄道「海部」駅より徒歩15分の処の漁港沿いの住宅街の南西部にある津波避難用の階段を登っていきます。すると、先ず最初に大堀切が出てきます。大堀切の斜面の一部に石垣が残っています。大堀切の左手には電波塔のある曲輪あります。主郭のある曲輪群へは右手の斜面を登っていきます。ここからは未整備ですので、十分にお気をつけください。

登り口から主郭までは曲輪群を経由して5分程で到達します。主郭には天守台のような土壇があります。土壇の南から東にかけての30cm~1mほどの切岸には石垣があります。特に東側の石垣は2段になっています。また、主郭には低い土塁もあります。

城山の北側に観音庵跡(判形人屋敷跡)があります。城山と観音庵跡の間は斜面が90℃の切通があります。観音庵は出丸のような役割があったのではないかと思われる。観音庵跡には森志摩守と判形人の墓があります。

観音庵跡の海岸側の道沿いに「海部城跡」の石碑が建っています。



海部城の周辺スポット情報

 愛宕城(宍喰南城)(遺構・復元物)

 海部城(鞆城)跡(碑・説明板)

 海部(鞆)城 主郭跡(本丸)(碑・説明板)

 吉野城(周辺城郭)

 海部陣屋(周辺城郭)

 愛宕城(宍喰南城)(周辺城郭)

 駐車場(旧海部中学校体育館裏)(駐車場)

 阿波海南文化村・海部刀展示(関連施設)

 苔アート(その他)

 南側登城口(その他)

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