森遠城(もりとおじょう)

森遠城の基本情報

通称・別名

所在地

徳島県美馬市木屋平森遠

旧国名

阿波国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

平知経

築城年

平安時代後期

主な改修者

主な城主

木屋平氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

上山城(徳島県名西郡)[15.3km]
脇城(徳島県美馬市)[18.0km]
岩倉城(徳島県美馬市)[18.1km]
上桜城(徳島県吉野川市)[19.8km]
川島城(徳島県吉野川市)[20.8km]

森遠城の解説文

城主は木屋平氏(『阿波志』)。本屋平氏は平知盛の後裔とされ、南北朝時代には南朝方として北朝方の守護細川氏と争ったが、応安5年(1372)までには細川氏に降り、その被官となっている(『細川頼之預ヶ状』松家家文書)。

元亀3年(1572)の上桜合戦においては細川方として活躍し、木屋平越前守、木屋平刑部丞がその軍功を賞されている(『細川真之書状』・『三好長治書状』松家家文書)。長宗我部氏の阿波侵攻以降は、長宗我部方に与することとなり、越前守は岩倉での合戦で軍功を立てた(『長宗我部元親書状』松家家文書)。また、蜂須賀氏入封後は木屋平伊賀守が山間土豪の一揆鎮圧に活躍し、藩主より松家の姓が授けられ、小高取りに取り立てられている(『蜂須賀治世記』)。松家家伝来の南北朝から戦国時代に至る文書15通は、県指定有形文化財に指定されている。

城跡は標高1,229mの正善山から南に延びる尾根の緩斜面、穴吹川に向かい突き出した台地上に位置する。城跡は、現在森遠八幡神社(正八幡神社)の境内地となっており、保存状態は良好である。主郭は南北55m、東西30mの楕円形を呈し、後方の尾根続きを二重の堀切で遮断する。主郭の西側は加工度の低い緩斜面であるが、南北の切岸が明瞭であること、二重堀切が背後を遮断すること、西端に城のものとみられる井戸跡が残ることから城内と考えられる。二重堀は県下では、三好市白地城跡(現存せず)、美馬市重清城跡が知られるに過ぎず貴重な遺構である。『麻植郡村誌』では濠、古井戸の他、太鼓櫓跡についても記す。また、城跡東北の平坦地は「御屋敷跡」と呼ばれ、廃城後に松家氏が屋敷を構えたとされる。城跡背後の緩斜面は中世遺物の散布地となっている。

文献
阿波志
麻植群村誌
麻植群郷土誌
木屋平村史
日本城郭大系
木屋平村の中世城郭と館跡

情報提供:美馬市教育委員会文化・スポーツ課

森遠城の口コミ情報

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