益田氏城館(ますだしじょうかん)
益田氏城館の基本情報
通称・別名
- 益田氏城館[三宅御土居・七尾城]
所在地
- 島根県益田市三宅町他(地図は三宅御土居を示す)
旧国名
- 石見国
分類・構造
- 城館遺跡群
天守構造
- -
築城主
- 益田兼見[三宅御土居]、益田兼高[七尾城]
築城年
- 南北朝時代[三宅御土居]、鎌倉時代[七尾城]
主な改修者
- 益田藤兼[七尾城]
主な城主
- 益田氏[すべて]
廃城年
- 慶長5年(1600)[すべて]
遺構
- 土塁、横堀(空堀)[三宅御土居]、曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群[七尾城]
指定文化財
- 国史跡(益田氏城館跡)
再建造物
- 説明板[すべて]
周辺の城
-
向横田城(島根県益田市)[8.8km]
針藻城(島根県浜田市)[14.4km]
下瀬山城(島根県鹿足郡)[15.2km]
三隅城(島根県浜田市)[15.9km]
鰐坊山城(山口県萩市)[17.6km]
上ノ山城(島根県益田市)[19.1km]
周布城(島根県浜田市)[25.3km]
津和野城(島根県鹿足郡)[25.6km]
賀年城(山口県山口市)[29.2km]
政国城(島根県鹿足郡)[31.8km]
益田氏城館の解説文
益田氏城館の口コミ情報
2024年10月15日 安芸守カズ
益田氏城館
島根県芸術文化センター、グラントワで開催されている安彦良和さんと山根公則さんの展覧会に合わせて益田市を訪問しました。グラントワもこれで3回目。毎回訪れる度に行きたかった七尾城にようやく登城できました。
先人の書き込みを参考に、車は住吉神社の境内に停めさせていただきました。駐車場に隣接する池は内堀の名残だそうです。同じく先人の書き込みのとおり、この城を訪れる際に最大の難関となるのは、住吉神社拝殿までの長い階段で、神社拝殿から本丸までは思った以上にスムーズに行けます。
城域は広いですが、良く整備されており、地元の方々に感謝々です。本丸東側にアルミの階段があり、降りたところには手摺り代わりのロープが張り巡らさせており、そのまま進むと圧巻の畝状竪堀群が。
艮郭と尾崎丸まではやや駆け足で、約1時間半ほど堪能させていただきました。さすがは山城サミットの開催地、もし続々百名城が選定されることがあれば、選ばれる価値は十分にあると思います。
帰りは国道191号線にあるレトロ自販機で肉うどんとラーメンを堪能し、大満足の秋の休日を過ごすことができました。
2024年06月07日 京急渡島守ドレミファ♫
七尾城[益田氏城館 周辺城郭]
■アクセス
JR益田駅からバスで10分弱(210円/IC可)。
「益田本町」バス停を通る路線ならどれでもOKなので、10分と待たずに便があります。ただ、どれに乗れば良いかの判別は不可能なので待合所で「益田本町まで」と聞きましょう。路線によっては手前の「水源地前」バス停の方が近いです。「益田本町」からは徒歩3分程、「水源地前」からは1分です。
■見所
数百段の階段を上り、住吉神社に着いてからが城攻めとなります。整備はされていますが、多少登るのがキツい箇所はあります。案内は今年3月付の物もあって非常に充実しています。今年開催される「山城サミット」の開催に合わせて整備されたと思われますが、城郭の構造も分かりやすいですし、眺望も海まで見えて素晴らしいです!本丸までは、住吉神社から10分前後でしょうか。
■その他
足腰がしっかりしていないと登城できませんが、時間はそんなにかかりません。私は、萩と萩石見空港の連絡があまりに悪く、益田駅で3時間のヒマができたので暇つぶしで探して行っただけです。意外に交通の便が良かったので結局時間が余り、空港へのバスを待ち切れずにタクりました(汗)
2024年05月14日 池田紀伊守信輝
医光寺(崇觀寺)[益田氏城館 寺社・史跡]
臨済宗東福寺派のお寺ですが、もとは天台宗崇観寺の塔頭でした。崇観寺は1363年に創建され、足利将軍の台翰(手紙)をもって住職を任命したほどの格式のある大伽藍でした。益田兼見は本尊の釈迦如来坐像作成の大檀那(スポンサー)となっています。
文明年間(1469〜1486)第七代住職雪舟はこの崇観寺の塔頭のひとつに庭園を残しました。その後、崇観寺は 衰退していき、17代益田宗兼によって医光寺が開基しました。
医光寺の雪舟庭園は国史蹟および名勝に指定されており、 池泉鑑賞半回遊式の庭園で、鶴池に亀島を配置した吉祥の庭となっています。
2024年05月14日 池田紀伊守信輝
萬福寺[益田氏城館 寺社・史跡]
1374年に益田七尾城11代城主が現在の地に移築して萬福寺と改称、益田家の菩提寺と定められました。一般拝観料¥500
2023年11月20日 ファントム弾正少弼
益田氏城館
益田氏の七尾城趾と麓の城館に行ってきました〜。
七尾城は麓の神社⛩の鳥居をくぐった所に車を停めさせてもらい長いコンクリートの階段を登ると赤い門があり中腹に神社があります。そこから10分くらいで本丸に到着。
曲輪もよく残っていて益田の市街と日本海が見渡せ素晴らしい。
曲輪は尾根に挟まれたY字がたの構造で尾根の付け根あたりに石垣造りの井戸跡があり長細い本丸には階段を下ると畝状竪堀群が16本あり樹木があるけど見応えあります。二本の尾根の曲輪の谷間が家臣団の屋敷が構えてあたらしく昔の大手口らしいです。本丸から眺めて城下町を挟んで河を渡った辺りに城館跡がありました。今は道路が貫通して分断されてますが、敷地は190〜100メートルと広く両側に大きな土塁跡が残っていましたが内側はお寺の跡か、お墓があります。地中に発掘調査された遺構が眠っているみたいです。
2022年05月15日 織田上総介晃司
七尾城[益田氏城館 周辺城郭]
最初に断っておきますが能登の七尾城ではなく益田氏城館の石見七尾城の事です。
住吉神社の石鳥居をくぐると駐車場があります。そして住吉神社の長い石段を登ると登城口があります。登城道よりも神社の石段のほうがキツかった…
2筋に分かれる尾根に城を構え、全長600mの大規模な城です。
すべて見ようと思えばかなりの時間が必要です。東側尾根の後、西側尾根の千畳敷で動物の気配を感じ、熊も出没するというのでそこから先は断念しました。
益田市は室町時代の水墨画家・雪舟縁の地で当時の当主・益田兼堯の招きで医光寺の住職となったそうです。現在医光寺に七尾城の大手門が移築され、医光寺総門となってます。その門がガンダムに登場したモビルアーマーのビグザムに見えてしまうのは私だけ?(笑)
2022年05月15日 織田上総介晃司
益田氏城館
三宅御土居
御土居跡に駐車場らしきものがありますがはたしてそれが三宅御土居の駐車場かどうか定かではありません。
東土塁と西土塁が残ってますが墓地として利用されて形が変わった部分もあります。
三宅御土居跡の土地を益田市が買い取り、史跡としての整備を進めるとの事です。
益田市は飛鳥時代の歌人・柿本人麻呂の出生地と没地といわれており、出生地に戸田柿本神社が、没地に高津柿本神社があります。
2021年06月20日 上田図書頭雪娘
益田氏城館
曲輪が良好な状態で多数見られます。ただし、曲輪名称や案内板が少ないため縄張り図が必要です。斜面もきびしいです。
2021年01月10日 iCastle周防守SE2
三宅御土居跡[益田氏城館 遺構・復元物]
「おどい広場」と名付けられた史跡エリアがあり、土塁、堀跡、館跡などが示されてます。一応、車が止められる広さはありますが駐車場ではないので近所迷惑にならないようご注意ください。
2020年08月17日 ビーンズマン左兵衛督
益田氏城館
三宅御土居跡は、何年先かわからないけど今後整備される予定です。
2020年08月02日 ビーンズマン左兵衛督
医光寺総門[益田氏城館 遺構・復元物]
七尾城の門を移築したものです。
2016年01月03日 カーネル
益田氏城館
山陰本線益田駅からアプローチ。バスは本数が少ないので歩きで
駅前から南に歩き、すぐの県道54号にでて、その後はひたすら東へ。道はキレイで歩道も広いです
バスであれば、水源地前というバス停があります。バス通りから住吉神社の鳥居をくぐり、境内奥の階段を上ります
住吉神社の階段を登り真っ赤な山門をくぐってすぐ左に登山口と城の地勢図があり、その脇をすすみ、ここから未舗装になります。最初の登りはキツいですが距離も短く、すぐに整備された城域内に入って歩きやすくなります
本丸、二の丸、良の出丸、尾崎丸、千畳敷と広いので時間に余裕を。下山後は三宅御土居に寄って益田駅へ。2時間ちょい
初めてきたときは、日が暮れて本丸に着いたときは真っ暗だったのでリベンジしに来ました(本丸から見る夜景はきれいでした)
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
益田氏城館の周辺スポット情報
医光寺総門(遺構・復元物)
三宅御土居跡(遺構・復元物)
16代益田宗兼の墓碑(碑・説明板)
益田氏10代兼方・11代兼見の墓(碑・説明板)
益田氏15代兼堯の墓(碑・説明板)
益田氏19代藤兼の墓(碑・説明板)
益田氏13代兼家(秀兼)の墓(碑・説明板)
益田七尾城の説明板(碑・説明板)
七尾城跡 大手の帯曲輪(碑・説明板)
七尾城跡 西尾根曲輪群(碑・説明板)
益田氏七尾城登城口・住吉神社(周辺城郭)
大谷土居屋敷(周辺城郭)
稲積城(周辺城郭)
大谷城(周辺城郭)
七尾城(周辺城郭)
上久々茂土居(周辺城郭)
四ツ山城(周辺城郭)
萬福寺(寺社・史跡)
医光寺(崇觀寺)(寺社・史跡)
益田市観光協会(御城印)
住吉神社・登城口の駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
七尾城跡 登城口(その他)