津和野城(つわのじょう)

津和野城の基本情報

通称・別名

三本松城、石蕗城、一本松城

所在地

島根県鹿足郡津和野町後田

旧国名

石見国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

吉見頼行

築城年

永仁3年(1295)

主な改修者

坂崎直盛

主な城主

吉見氏、坂崎氏、亀井氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、櫓、石垣、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(津和野城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

賀年城(山口県山口市)[8.4km]
下瀬山城(島根県鹿足郡)[10.4km]
政国城(島根県鹿足郡)[13.5km]
奥阿武宰判勘場(山口県萩市)[16.1km]
向横田城(島根県益田市)[17.6km]
渡川城(山口県山口市)[21.9km]
鰐坊山城(山口県萩市)[23.3km]
藤掛山城(山口県周南市)[24.6km]
益田氏城館(島根県益田市)[25.6km]
上ノ山城(島根県益田市)[27.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

66 津和野城

設置場所

リフト茶屋[地図

津和野城の解説文



津和野城(つわのじょう)は、石見国鹿足郡[1]津和野霊亀山(現・島根県鹿足郡津和野町後田)[2]にある日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。

概要 

津和野城は津和野盆地の南西部に横たわる標高367メートルの霊亀山[3]に築かれた山城である。築城時からは少なくても室町時代後期(戦国時代)までは三本松城(もしくは一本松城)と呼ばれていた。尾根伝いに南にある出城の中荒城、当城と併せて史跡指定されている。

江戸時代には津和野藩亀井氏の居城であったが、藩庁は急峻な山城を避け山麓に置かれた。

明治時代に廃城となったが、山上には石垣や堀(堀切、竪堀、連続竪堀など)が残る。山麓には馬場先櫓(島根県指定文化財)、物見櫓が現存している。また、藩主屋敷は島根県立津和野高等学校になり、庭園は嘉楽園となった。なお、本城部分を含む城域を南北に貫く形で鷲原八幡宮と太皷谷稲成神社を繋いで中国自然歩道が設定されており[4]、この遊歩道から徒歩で登城できる。

歴史 

鎌倉時代

鎌倉時代、元寇の翌年の弘安5年(1282年)吉見頼行は沿岸防備のため西石見地方の地頭としてこの地に赴任した。吉見氏は当初、木薗(木曽野。現在の津和野町木部)に屋敷(吉見氏居館跡)を設け、その北方に御嶽城や徳永城を築いていた。

永仁3年(1295年)、霊亀山南側の鷲原八幡宮の裏手から三本松城(もしくは一本松城)の築城を開始した。山頂に向かって拡張を続け、頼行の子・吉見頼直の代である正中元年(1324年)完成した。頼行以降、津和野城は吉見氏14代の居城となった。吉見氏時代の津和野城の大手道は喜時雨(きじう。霊亀山西麓の地区)側に繋がっており、当時の吉見氏の居館は喜時雨にあったとするのが通説である[5][6]

戦国時代・江戸時代

吉見氏は戦国時代には当初大内氏に属していたが、11代当主正頼は大寧寺の変で大内義隆を滅ぼした陶晴賢に対して挙兵。天文23年(1554年)に100日以上に及ぶ籠城戦が生じた(三本松城の戦い)。その後、厳島の戦いに勝利した毛利氏が防長経略を開始すると、吉見氏はその傘下に入って引き続き津和野城を居城とした。その後、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて毛利輝元を総大将とする西軍が敗れ、毛利氏が防長2か国に押し込められると、吉見氏も津和野を退去して萩に移住した。

代わって東軍に属した坂崎直盛が3万石(後に加増され4万3468石)で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修を行った。大手の位置を吉見氏時代の搦手側に改め、出丸や天守を築いた。直盛は元和2年(1616年)に千姫事件で自害(または家臣に殺されたとも)し、坂崎氏は改易となった。

元和3年(1617年)因幡国鹿野藩(鳥取県鳥取市鹿野町)より亀井政矩が4万3千石で入城し、以後明治維新まで11代にわたり亀井氏の居城となった。亀井氏により、山麓に居館(津和野藩邸)や外堀が設けられて、城下町が整備された。貞享3年(1686年)城は落雷にあい火災が発生した。この際に天守も焼失し、以後再建されることはなかった。安永2年(1773年)、京都伏見稲荷より勧請し、太皷櫓の建つ城内の一角太鼓谷の峰に太鼓谷稲成神社を建立している。

近現代

明治4年(1871年)、全国の各藩に先駆けて廃藩(廃藩置県)となり廃城となった。城は津和野の商人である三上喜左衛門に払い下げられ[7]、翌7年(1874年)に山上の城は解体された。

昭和17年(1942年)10月14日、国の史跡に指定された。昭和47年(1972年)と平成19年(2007年)には史跡の追加指定が行われて指定範囲が拡大した。

昭和46年(1971年)には山上への観光リフトが完成した。また、平成18年(2006年)4月6日に日本100名城(66番)に選定された。

平成から令和にかけて保存整備事業が行われた。登山道の整備、木々の伐採などが実施された[8][9][10]

構造と遺構 

吉見氏時代の津和野城は、霊亀山の尾根・支尾根に多数の曲輪を持つ典型的な中世山城である。当時は石垣などは無く、土塁と空堀による城だった。吉見氏は長年に渡り城の防備・拡張を続けてきたが、三本松城の戦いを前には竪堀などが大きく強化された。当時の吉見氏は、南の山口に大内氏(実質的に陶氏)・北の益田に益田氏と対立しており、南に賀年城・北に下瀬城を支城として築くことで守りを固めていた。特に、当城より直線距離で約10kmほど北方にある下瀬城とは尾根伝いに行き来する間道があったとされ、三本松城の戦いでは陶軍の猛攻に晒される津和野城から下瀬城に本陣を移している[11]

山城(本城)

津和野城の本城(本曲輪)は比高200メートルの山頂に築かれた。坂崎氏時代に山頂が削平され、石垣や天守を備えた近世城郭となった。

本丸と二の丸

津和野城の主郭は近世城郭の石垣造りが良好な状態で保存されている。城の最高所は「三十間台」であり、津和野城下を一望できる。また、三十間台の南側には南門(三の丸)などを見下ろせる「人質郭」が、北側には「太鼓丸」がある。

三十間台の西側には、坂崎氏時代に三重天守が建てられた「天守台」がある。天守台の石垣は、石英閃緑岩が使われており、大きい石は2トン以上のものである[12]。なお、天守台が位置している場所は、本丸では無く二の丸である[13]

天守台の北側には、二の丸石垣から一段低いところを細長く走る腰曲輪が設けられ、太鼓丸の石垣下に位置する「隠門」まで続いている。

三の丸

天守台から見て、西と南の二方向に張り出した形状をしているのが三の丸となる。西側の張り出し部には、馬をつなぎ止めていた「馬立(うまたて)」、石列の排水機構跡が残る「台所」がある。また、台所の奥(西側)には「海老櫓」があり、搦手側を見張っていた。

北から続く尾根(織部丸の方向)から本城への出入口となるのが「東門」で、坂崎氏時代以降の津和野城の大手門である。東門を見下ろすような三段の石垣には「三段櫓」が設けられ、厳重に守備されていた。そして、三の丸の西側(馬立)を挟んで東門の反対側に位置する「西門」は「西門櫓」が築かれていた。西門からは喜時雨に抜けることができ、津和野城の搦手(吉見氏時代は大手道)であった。

三の丸の南部には、曲輪内に番所などがあったとされる。「南門櫓」が築かれている「南門」からは、尾根をさらに南に下って中荒城へと続いている。

出城(出丸)

織部丸
坂崎氏時代に増築された曲輪で、家老の浮田織部が普請奉行を務めたことから「織部丸」と呼ばれる[14]。本城の北側、本丸東門から尾根沿いに約244メートル離れた距離に位置するが、鉄砲の普及に伴って防備強化が必要な場所に築かれたと考えられている。織部丸も石垣・塀・櫓で構築されており、出丸門の右側に番所があった。

北出丸
織部丸から約600メートル北の尾根に位置する出丸跡。

中荒城

本城の西南に位置する城郭。津和野城の見張りの城と位置づけられており、石積みの防塁跡が残る。また、中荒城の南麓(鷲原八幡宮の裏手)には「南出丸」と呼ばれる出丸が築かれている。津和野城は南側から始められたため、中荒城や南出丸は築城の初期に造られた。

山城としての津和野城は、吉見氏時代に数多くの堀切・竪堀・横堀が作られている。特に前述の中荒城の周囲には多数の連続竪堀(放射状竪堀)が存在しており全山に渡って掘られた空堀は88ヶ所に及ぶ[15]

さらに、城山の周囲を流れていた津和野川が水堀(内堀)の役目を果たす。亀井氏時代となる寛文年間(1661年〜1673年)に約1キロメートルに及ぶ外堀が掘られている。

山麓の櫓

霊亀山東麓には津和野城の居館(津和野藩邸)があり、その櫓として「馬場先櫓」と「物見櫓」が現存している。 馬場先櫓は、津和野藩邸表門の左側の隅櫓で、近くに馬場があったことから名付けられた。築城時期の記録は残っていないが、嘉永6年(1854年)の藩邸焼失の後、安政3年(1856年)に再建されたものとされる[16]。一方、物見櫓の方は、大正時代の道路建設に伴い嘉楽園に移築されている他、昭和時代の修復作業で本瓦吹きから桟瓦吹きに変更されている[17]

アクセス 

  • JR西日本山口線津和野駅から津和野城跡観光リフト上り口まで徒歩約40分。リフトで降り口まで5分。リフト降り口から本丸まで徒歩約15分。
  • リフト登り口に無料駐車場30台有。

参考文献 

  • 【書籍】「定本 日本城郭事典」
  • 津和野の自然と歴史を守る会(http://www.sun-net.jp/~0otani-s/) 会報つわぶき
    • /

津和野城の口コミ情報

2022年05月04日 生駒備前守江現蔵
中荒城[津和野城  周辺城郭]



中荒城は1295年、吉見頼行によって築かれたと伝わります。標高362mの霊亀山頂にある津和野城の南端、標高332mにあります。実質的には津和野城の一部と考えられています。

今回、12年振りに津和野城を訪れたので、新たな発見をしたいと思っていたところ、リフト乗り場で貰ったパンフのトレッキングコースに中荒城、竪堀18本とあったので行ってみる事にしました。

城は津和野城の南門跡を下って、中国自然歩道を進むと現れます。標識と看板があり、すぐに辿り着けます。主郭から標識に沿って下りると規模の大きな畝状竪堀群が巡らされています。足元が斜めになる場所もあり、竪堀に滑りそうになりながら、しっかり見る事が出来ました。

中世の砦としてほぼ完全な姿で残されている貴重な遺構です。私の写真では分かりませんが、実際に見たら感動すること間違いなし。津和野城リアの際には、リフトで往復すれば津和野城とセットで2時間半もあればゆっくり見れるので、中荒城にも是非足を運んでみてください。

2022年05月04日 生駒備前守江現蔵
物見櫓[津和野城  遺構・復元物]



物見櫓は津和野城の麓に設けられた津和野藩邸(藩庁、藩主居館)正面に設置された4つの櫓の1つです。向かって一番左端に位置している事から防衛上も重要視されると同時に物見としても機能し、祭事などが行われた際には藩主が物見櫓から見物したと伝えられています。

現在の建物は先程口コミした馬場先櫓と同様に江戸時代末期の火災で焼失後に再建されたものと推定されます。木造2階建て、入母屋、本瓦葺き、2階正面左側は格子になっています。大正時代に全面道路の拡幅工事に伴い、現在地である「嘉楽園」の敷地に移築されています。

津和野高校に隣接されていて、津和野城行きリフト乗り場でもらえるパンフにも載っていますので、津和野城、馬場先櫓とセットで訪れる事をオススメします。

2022年05月04日 生駒備前守江現蔵
馬場先櫓[津和野城  遺構・復元物]



馬場先櫓は津和野城の麓に設けられた藩邸(藩庁、藩主居館)の表門の向かって左側に設置された隅櫓です。津和野藩の馬場に隣接していた事から名付けられました。現在の建物は江戸時代末期の火災で焼失後に再建されたものと推定されます。

木造2階建て、入母屋、本瓦葺き、上層部は格子が取り付けられています。津和野城の建物の遺構は馬場先櫓と物見櫓の2棟のみで、馬場先櫓のみ当時からの位置に現存しています。

津和野高校に隣接されていて、津和野城行きリフト乗り場でもらえるパンフにも載っているので、津和野城とセットで訪れる事をオススメします。

2022年02月12日 天河水宮内卿
津和野城



2022年2月11日再訪。2018年6月以来2度目の訪問も合戦の最中。今回はコロナ蔓防のためリフト休みなので徒歩で攻城。途中から雨が本降りのため太鼓谷稲成様駐車場で装備を整え。遊歩道は整備されているので歩き易いが、柵がないので注意が必要。出丸は前回も豪雨災害復旧工事中だったが、今回も工事の足場が組まれたまま。本丸跡も見学可能とはいえ工事足場の通行を余儀なくされる。三十間台に到着時には雨が上がっていい感じの霧が出て、眼下の津和野の町がさだまさしさんの案山子のイメージそのものでしばし景色を堪能。この日は三連休の初日だったが出会ったのは工事関係者の方だけで少し寂しい。城跡を後にしてリフト乗り場へ。リフトは動いてないが、係の人がいる時は100名城スタンプが押せるので準備をしていると係員さんが出てきてパンフレットをいただいた。
街中の飲食店はそこそこお客様も入っているし、駅前も整備中なので観光客が早く戻ってくれるといいなと思いながら津和野をあとにした。

2021年05月07日 数珠丸恒次左近衛大将ヒロティー
津和野城

リフトで攻城、ここは石垣が素晴らしく見応えあります。道とか整備中が多かったです

2021年05月05日 毛利秀就
津和野城

山城なので、歩いて登ると50分ぐらいかかります。リフトを使うと往復700円かかりますが、降りてから20分ぐらいかかります。本丸跡からの眺望は良く、時間をあわせればSLが走ってます。

2021年04月18日 ホーリー宮内大輔
津和野城



山頂の石垣のすばらしかった。人力で石を運んだすごさに感動しました。出丸が工事中だったのが残念。また来たいです。

2021年01月27日 ゆきむら長門守
御城印販売所[津和野城  御城印]



太鼓谷稲成神社社務所にて、「津和野城」「三本松城」の御城印を購入することが出来ます。

2020年09月26日 ぷれ
中荒城[津和野城  周辺城郭]

津和野城を経由して、中荒城に登城しました。畝状竪堀が見どころです。

2020年08月16日 大納言Z越前守369
津和野城

登城する際は、こわいですが、リフトを利用することをお勧めします(特に夏場は。往復700円)。リフトを利用する際、鉄道・バス等の公共交通機関で津和野に来た場合は荷物を駅のコインロッカーに預けて、軽装で登城することをお勧めします。
飲み物を持参した方がいいですが、リフト山上乗降場にも飲料自動販売機が1台あります。ただし、本丸付近には自販機はありません。

2020年05月09日 ( *¯ ³¯)っ旦
津和野城

2020年4月の時点では
整備中で麓からは登れません。
スキー場にあるようなリフトで上まで登ることになります。
リフト係のおっさん、態度はデカいし喋り方も悪いので気が悪かなりました。

上についても本丸手前までは仮説の工事用足場を歩かされますし
本丸周辺の石垣は落石対策で金網がかかっている石垣もあります。
それ以外は石垣も素晴らしく、見晴らしも良いですし、
私としては楽しめました。

とにかくあのリフト係のおっさん、
なんとかしてほしい。


2019年10月14日 則天図書頭無功
津和野城

城郭整備で樹木伐採中。麓からよく見えるようにして、後に山紅葉を植樹するとの現場監督の説明でした。「二、三十年すると見栄えがしましょうや。」待てませんがな!

2019年05月19日 ちろりん薩摩守
津和野城



県道226号線からの撮影
リフトで一気に行けますが、日中の暑い時間や人数が少ない場合には、リフトは動いていません

2019年03月29日 牧 大宰大弐 隼人
津和野城

城郭部の整備工事のため、本来の登城路は通れません。リフト降り場から組まれた足場を通り、織部丸の下を通ります。本丸に入る時も同様に足場伝いで天守台の下へ。味がありませんが、今はない門から登城路を見下ろすとこんな感じかと想像できますし、整備が終わればよりよい城になると信じましょう。
あと、織部丸の石垣下の斜面に築城時のものと思われる瓦がゴロゴロ。持って帰りたいけど、史跡ですので我慢しましょう笑

2018年11月05日 三木肥前守上の丸
津和野城

リフトで上まで行けるので、行きやすいです。往復一時間でも行けると思います。普段 山城行かない方も行って欲しい城です。景色良いですよ。

2018年03月20日 薩摩守道雪⚡︎、
津和野城

3/20、22~23は出丸付近の伐採工事の為、城跡に続く付近の遊歩道は通行禁止…
リフトも臨時休業でした…

100名城スタンプはリフト乗り場で押せます。



2018年03月17日 衣谷関白其土
津和野城

雨の平日に登城。2時間程度ブラブラしたけど100名城なのに誰とも会いませんでした。熊も出没注意の看板あり。私は決闘中の野猿に遭遇。

2017年05月20日 東照大権現周防守カズピー
津和野城

駐車場はあります。たいてい停めれるとおもいます。リフト降りてしばらく歩きますが体力的には余裕だと思います。石垣も迫力あり大好きな城跡です。楽しんで下さい。

2017年05月11日 織田上総介晃司
津和野城

リフト乗り場の下手に無料駐車場があります。
リフトを降りて約15分くらいでたどり着けます。
本丸周辺の石垣が見事。

ここも密かに天空の城をアピール

津和野駅はSLやまぐち号(C57)の終着駅。
今年(2017年)は12:58到着 15:48発車です。


2016年08月07日 みやび姫
津和野城

7月末に熊が出たのち、毎朝爆竹を鳴らして近づけないようにしている、とリフト乗り場の方が教えてくれました。リフト降りてから15分もあれば本丸跡まで行けますが、とにかくやぶ蚊が凄いです!!木陰になるとさらに増します。全身虫除けスプレーした後、目の前をシュッシュしながら歩きました。絶対虫除けスプレーは持って行って下さい!!
本丸跡からの眺望はとても素敵です。

2016年05月17日 兵部大輔朧月夜
津和野城

駐車場は何ヵ所かあります、御朱印されてる方と帰りリフトに乗らず歩いて下山される方は太鼓谷稲成の駐車場が良いかと、スタンプはリフト乗り場に、16時30分までなので、逆算して乗らないと帰りは山道を歩いて帰る羽目に。

2016年05月07日 まるき〜主殿助
津和野城

津和野城口コミ

太皷谷稲成神社に駐車してリフトにて登城
駐車場は無料です。
100名城スタンプはリフト乗り場にて、
津和野城のパンフは無いが津和野リフト観光案内というパンフがある、これは申し入れないと出して貰えませんでした。
リフトの急勾配、今までに乗ったリフトの中で1番角度がキツイような気がします。
苦手な方には徒歩で行く道も…

本丸まではゆっくり歩いて十数分、手前に出丸がある。
途中工事中の場所もあり足場、通路が設けられているのが興醒めポイント

上に上がると眼下に津和野の街並みが小さく見える
それと相まってただ漠然とデカイ石で積んだ石垣がこんなに高い所にある…と言う感じが変に嫌な事やつまらん事、時間が経つのを忘れさせてくれる、癒し空間でした。
タイミングが良ければSLが煙を上げて走る姿が見られるそうで朝9時台と昼から15時台だったと…
戻る際に出丸に寄ったが登り階段の一部で浮いてる石がありますので注意が必要です。

帰りのリフトは更に急勾配に見えてお尻が滑りそうで怖いかもしれません(;^_^A

2016年04月30日 まるき〜主殿助
津和野城

パンフが無い…100名城なのに

リフト乗り場でリフト用の観光案内が貰えますけどショボいです。
こちらから言わないと貰えませんし

2016年04月10日 摩利支天
津和野城

三の丸の南門から下り、南出丸の先の分岐を左に行くと三重横堀、右に行くと二重堀切があります。
左のルートは突き当たりに崩れかけの四阿があり、そこに三重横堀と4本竪堀の矢印看板がありました。
4本竪堀は畝状竪堀の様な感じですが、藪が多く畝状のコブだけが往時を偲ばせています。
三重横堀の方は横堀と言うより連続堀切の様な感じで三本とも状態良好です。
そして右ルートの二重堀切や中荒城の畝状竪堀も口コミにある通り素晴らしい状態で残っています。

ちなみに織部丸東郭の三重横堀と南の4本竪堀は斜面を藪コギしていく形になりますので、興味のある方はそれなりの装備で臨みましょう。

2016年04月10日 摩利支天
津和野城

リフト乗り場から少し上がった太皷谷稲成神社の駐車場の手前に津和野城への登山口がありますので、そこから登る事が出来ます(麓の大手登山口は現在立入禁止)。

自然歩道に沿って織部丸の真下辺りに来ると織部丸東郭群と三重横堀の説明板がありますが、看板の前は草木に覆われ何も確認出来ません。
そこから少し進むと歩道に案内の板切れが置いてありますんで、そこから踏み跡を頼りに下って行くと郭に到着。
そこからは特に踏み跡も無いので強引に下っていくと、いかにも中世城郭と云う感じの三重横堀が見えてきます
写真映えはしませんが三つとも状態は良く、全て確認する事が出来ました。

2016年04月04日 スケアクロウ内蔵助
津和野城

冬に津和野城に行くときにはリフトに気を付けてください。私はリフトで津和野城に上がった後にリフトが故障し、帰りは雪の積もった道を帰ることになりました。

2015年11月07日 いさん
津和野城

尾根伝いに中世城郭部分を南下すると、畝状竪堀が立派な中荒城跡に到達します。

2014年11月16日 百華
津和野城

津和野駅からリフト乗り場までは、歩くと30分ほどでした。リフトは一人ずつ座って乗るタイプで足がブラブラするヤツです。
リフト降りてからも10分程歩きます。足場はあまりよくありませんので滑りにくい靴がおすすめです。
昨日行ったのですが紅葉が見頃でキレイでした。

2014年09月12日 志賀左衛門尉親次
津和野城

9/9AM登城。
リフトを降りて本丸までの山道、ヤブ蚊にかなりやられました。虫除けスプレー必須です(^^;)
本丸から八幡宮への道は立ち入り禁止になっていました…

2012年12月22日 西園寺右近衛大将オチョ
津和野城

近世津和野城の他にも、津和野城登山道である太鼓谷・鷲原八幡宮からの中国自然遊歩道の途中で中世三本松城の遺構を見ることができます。
特に津和野城から鷲原八幡宮への道の途中にある、竪堀にもなっている2連堀切は素晴らしい保存度、規模であり一見の価値ありです!
そこから更に鷲原八幡宮側には三本松城の支城的役割だったと思われる中荒城がありますし(こちらも遺構がよく残ってます)三本松城の遺構は近世津和野城の周りにかなり残っているようですので(ただし見に行き安いところは少ないです)是非「津和野城」だけではなく「三本松城」もセットで見られる事をお勧めします!
鷲原八幡宮には日本唯一ほぼ原形のまま残っている流鏑馬の馬場などもありますので時間がある方は是非そちらまで行かれてみてください。

2011年05月05日 きたぴょん治部卿
津和野城

リフトの路線工事中のため7月20日までリフト運休中10㌔の山道を40分程歩けば行ける教えていただきました・・が断念しました

津和野城の周辺スポット情報

 石垣(遺構・復元物)

 馬場先櫓(遺構・復元物)

 物見櫓(遺構・復元物)

 三重横堀(遺構・復元物)

 南出丸南西の堀切(遺構・復元物)

 石碑(碑・説明板)

 中荒城(周辺城郭)

 御城印販売所(御城印)

 スタンプ(スタンプ)

 リフト茶屋(スタンプ)

 駐車場(駐車場)

 津和野城跡観光リフト(関連施設)

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