奥阿武宰判勘場(おくあぶさいばんかんば)
奥阿武宰判勘場の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 山口県萩市吉部上1024-2
旧国名
- 長門国
分類・構造
- 代官所
天守構造
- なし
築城主
- 毛利氏
築城年
- 江戸時代
主な改修者
- -
主な城主
- 毛利氏
廃城年
- -
遺構
- 石垣、井戸、貯水池
指定文化財
- 県史跡(奥阿武宰判勘場跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
賀年城(山口県山口市)[7.8km]
渡川城(山口県山口市)[13.7km]
櫛山城(山口県萩市)[14.7km]
津和野城(島根県鹿足郡)[16.1km]
萩城(山口県萩市)[19.3km]
白水山城(山口県山口市)[22.8km]
下瀬山城(島根県鹿足郡)[23.1km]
鰐坊山城(山口県萩市)[24.3km]
向横田城(島根県益田市)[26.9km]
政国城(島根県鹿足郡)[27.8km]
奥阿武宰判勘場の解説文
奥阿武宰判勘場の口コミ情報
2024年04月21日 織田上総介晃司
奥阿武宰判勘場
奥阿武宰判勘場の専用駐車場は無く、近くの雲林寺の駐車場を借りて徒歩にてリア攻め。
駐車場を借りたのでネコ寺として知られる雲林寺に参拝。たくさんの猫のオブジェ(?)や猫グッズがあり、普通の御朱印の他に2/22(ニャンニャンニャンの日)限定の御朱印もあり愛猫家にはたまらないお寺です。
2023年05月04日 桜井太政大臣静龍
奥阿武宰判勘場
冬以外ならリア攻めはしやすいです。萩津和野線を萩方面から津和野方面へ走ると、緑色の看板で200mと見えます。看板の道を入り突き当たりを左へ曲がるとまた緑色の看板が見えます。が、専用の駐車場はないので、車なら駐停車場所注意です。雨上がりには虫も飛んでるので虫除けがあるといいかも。説明板はあります。
2022年10月03日 征夷大将軍ひとりもん
奥阿武宰判勘場
草刈りの後のようで見やすかったです。金木犀の香る中を見学するうちに、小島陣屋を薄〜く思い出しました。
駐車場ありませんが駐車禁止の表示もなかったので適当な場所に停めました。帰り際に隣人から「遠い所からご苦労様」と、きっと労われたのだと思う事にしました。
まわり道して寄ってみて良かったです。
2021年03月22日 則天図書頭無功
奥阿武宰判勘場
雨の中攻略。石州瓦が美しい集落の後ろに整然と組まれた石組が残っています。
2021年01月03日 足利右近衛中将義晴
奥阿武宰判勘場
雲林寺の近くにあります。看板が小さいので見落とさない様に。狭い道行くので軽自動車でのリア攻めがおすすめ
2018年02月22日 周防守光虎
奥阿武宰判勘場
猫の日で思い出しました!ここから歩いていける雲林寺は、猫寺として有名です。雲林寺は、毛利輝元の墓所がある天樹院の末寺です。天樹院には、輝元に殉死した長井元房と彼の愛猫にまつわる伝説があり、雲林寺は猫をフューチャーしたお寺になっています。チェーンソーアートの木彫りの猫像、古今東西の猫グッズが展示されてます。猫グッズがとても可愛らしいお寺なので、ぜひあわせて行ってみてください!
2016年06月25日 水瀬筑後守名雪
奥阿武宰判勘場
江戸時代のいわゆる役所跡。
宰判とは、萩藩領内の行政区画の事、
勘場とは、各宰判内の藩の出先の役所の事。
つまり、奥阿武地区にあった役所の跡地なのだそうな。
建物などの遺構は残ってないが、敷地の石組がそのまま残されている所は珍しいそうです。
奥阿武宰判勘場の周辺スポット情報
雲林寺(寺社・史跡)
勘場には、代官のもとに宰判内の名望のある者の中から任命される大庄屋とその下に恵米方・算用師その他の役があり、それぞれ民間から運ばれて、民生や年貢をはじめとする税、治安及び産業の振興などの執務を勘場役人として行っていた。
むつみ地域の中心にそびえる権現山(標高472m)南麓に東西58~64m、北南20~22mのほぼ長方形に造成された勘場の敷地は、面積約1300㎡(約390坪)に及ぶ。その南面(前面)には、精巧に組み上げられた高さ5mを越える石垣が残り、井戸や貯水池がみられる。勘場跡は、幕藩体制時代の政治・経済・文化等を解明していく上で、大変貴重な歴史遺産である。