奥阿武宰判勘場(おくあぶさいばんかんば)

奥阿武宰判勘場の基本情報

通称・別名

所在地

山口県萩市吉部上1024-2

旧国名

長門国

分類・構造

代官所

天守構造

なし

築城主

毛利氏

築城年

江戸時代

主な改修者

主な城主

毛利氏

廃城年

遺構

石垣、井戸、貯水池

指定文化財

県史跡(奥阿武宰判勘場跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

賀年城(山口県山口市)[7.8km]
渡川城(山口県山口市)[13.7km]
櫛山城(山口県萩市)[14.7km]
津和野城(島根県鹿足郡)[16.1km]
萩城(山口県萩市)[19.3km]

奥阿武宰判勘場の解説文

奥阿武宰判勘場は、江戸時代の幕藩体制下に置ける萩藩の郷村支配行政組織の1つとして創設されたもので、吉部・高佐・片俣(現:萩市むつみ)、鈴野川・弥富・須佐(現:萩市須佐)、小川・田万・江崎(現:萩市田万川)、惣郷・宇田・木与・宇生賀・福賀(現:阿武町)、蔵目喜・生雲・地福・嘉年・徳佐(現:阿東町)の村々を管轄地域としていた。

勘場には、代官のもとに宰判内の名望のある者の中から任命される大庄屋とその下に恵米方・算用師その他の役があり、それぞれ民間から運ばれて、民生や年貢をはじめとする税、治安及び産業の振興などの執務を勘場役人として行っていた。

むつみ地域の中心にそびえる権現山(標高472m)南麓に東西58~64m、北南20~22mのほぼ長方形に造成された勘場の敷地は、面積約1300㎡(約390坪)に及ぶ。その南面(前面)には、精巧に組み上げられた高さ5mを越える石垣が残り、井戸や貯水池がみられる。勘場跡は、幕藩体制時代の政治・経済・文化等を解明していく上で、大変貴重な歴史遺産である。

情報提供:萩市

奥阿武宰判勘場の口コミ情報

水瀬筑後守名雪様[2016年06月25日]
江戸時代のいわゆる役所跡。
宰判とは、萩藩領内の行政区画の事、
勘場とは、各宰判内の藩の出先の役所の事。
つまり、奥阿武地区にあった役所の跡地なのだそうな。

建物などの遺構は残ってないが、敷地の石組がそのまま残されている所は珍しいそうです。

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