宇龍城(うりゅうじょう)
宇龍城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 島根県出雲市大社町宇龍
旧国名
- 出雲国
分類・構造
- 丘城
天守構造
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築城主
- 尼子氏?
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 尼子氏、毛利氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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鳶ヶ巣城(島根県出雲市)[12.6km]
半分城(島根県出雲市)[14.9km]
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三刀屋氏城館(島根県雲南市)[26.3km]
本宮山城(島根県松江市)[27.7km]
宇龍城の解説文
宇龍城の口コミ情報
2021年03月15日 ビーンズマン左兵衛督
宇龍城
頂上に小さい神社があり、そこが主郭。登りやすい小高い山。神社や城の標識など何もなく少しわかりづらい。
2018年01月09日
宇龍城
宇龍漁港近くの宇竜入口バス停(一畑バス/岬~宇竜線)付近にある、山側につけられた左に延びる石段に取りつきます。数十メートル上ると傾斜が緩やかになり、右側の最初の民家の玄関先を右へ戻る方向に曲がります。そのまま軒先を直進して行くと、やがて直に延びる路と左に細い登り路の分岐になります。これを左に登って行くと主郭部の広場となり、プレハブの社の正面に出ます。なお、先程の分岐を直進すると主郭にある社よりもっとマシな神社の横に出ます。
主郭の社を右側に進むと小さな土塁があり、更に左に折れて進むと左下に窪地が現れます。瓢箪形した水溜み跡です。
社の左側には三段に下がる郭があり、土塁を挟んだ先に小さな郭があります。いくつかの郭には雨水を流したと思われる溝が土塁に沿って掘られてました。
ほとんど雑木林ですし、虎口方向以外は全て断崖絶壁となっていますので、足下には充分注意が必要です。
宇龍城の周辺スポット情報
切岸?(遺構・復元物)
水溜(遺構・復元物)
切岸(遺構・復元物)
出雲大社(寺社・史跡)
出雲阿国の墓と於国塔(寺社・史跡)
林神社(寺社・史跡)
駐車場(駐車場)
島根県立古代出雲歴史博物館(関連施設)
城跡入口(その他)
遺構
島根半島北西、日本海に面した日御碕(ひのみさき)にほど近い宇龍港を眼下に見下ろす岩山に位置する丘城である。岩山の頂部が主郭となり、海側北西方向に向かって数段の曲輪が確認される。
主郭は南東側に土塁を伴い、北側は約1.5m下がった場所に腰郭がある。主郭及び腰郭と、前述の北西方向へ伸びる曲輪群との間は浅い堀切で遮断されている。
なお、主郭北側の腰郭には雨水を貯水していたと思われるひょうたん形の水溜まりがあり、岩盤上で井戸を掘ることも困難な立地条件ながら、その立地を活かして貯水池を掘削し飲料水を確保していたと推測される。
歴史
麓にある宇龍浦(港)は、『出雲国風土記』に「宇禮保浦」の名で登場するほど歴史が深く、江戸時代には北前船が多数立ち寄るなど長きに渡り日本海海運の要地として大いに栄えた。戦国時代には、出雲を支配した尼子晴久が日御碕神社を領国全体の守護神とし宇龍港を直轄港とした。宇龍城は、当時既に重要な港となっていた宇龍港を防衛し、近海を通行する船を監視する目的で築城されたのであろう。
その正確な築城年代は不明ながら、前述の尼子氏、もしくは尼子氏を滅ぼして出雲を版図に組み込んだ毛利氏によって築城されたと考えられ、いずれにせよ毛利氏の時代までは城郭として使用されていたようである。
交通
・一畑電車大社線出雲大社前駅から車で約25分参考文献
・『出雲の山城―山城50選と発掘された城館(高屋茂男編)』ハーベスト出版、2013年10月。・島根半島四十二浦巡り(http://42ura.jp/)。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。