白巣城(しらすじょう)
白巣城の基本情報
通称・別名
- 白洲城
所在地
- 兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑
旧国名
- 淡路国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 室町時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 安宅氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 県史跡(白巣城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
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白巣城の解説文
白巣城の口コミ情報
2024年07月28日 小太郎左衛門督南畿道19國守
白巣城
麓から2キロ位は狭道、林道で、途中に獣避けゲートを自分で開け閉めして進行します。非常に狭く注意を要します。駐車場は舗装されており、そこから主郭までは駐車場の看板図面が参考になりますが、10分余りですが、看板は倒れているものもあり、注意を要します。7月27日訪問
2020年09月09日 梅鉢近江守Silvine
白巣城
白巣(しらす)城は洲本市五色町鮎原三野畑にあり、淡路の有力国人であった安宅氏の城で、安宅八家衆に数えられています。城主は安宅冬秀で、織田信長の淡路攻めの際に羽柴秀吉により攻略されたと伝わります。
遺構は堀切が明瞭で、馬繋場の土塁もよく残っています。淡路の山城の中では規模の大きな山城です。
城へは細いながら林道が直下まで通っています。途中、獣避けゲートがありますが開けて進むことができ、駐車場もあります。そこからは10分もかからず主郭にたどり着きます。
白巣城 (しらすじょう)は、兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑にあった日本の城。
白巣城は、自然の地形を活かして築かれた淡路島を代表する城です。良好に残る遺構は当時の築城技術を知る上で非常に貴重で、令和2年3月13日、兵庫県の史跡に指定されました。
立地
白巣城は、淡路島の中央、先山山系北尾根上の標高336mの白巣山山頂、淡路島にある城で最も高い場所に位置する戦国時代の山城です。城からは、一所において東の大阪湾、西の播磨灘を望見できます。両海域の監視を必要とすることから、その支配域の広さをうかがい知ることができます。
淡路水軍と淡路国人衆
永正16年(1519)、淡路国守護細川氏が阿波の三好氏に滅ぼされて以降、国人が台頭する戦国時代に入った淡路島は、淡路水軍を率いた安宅氏が頭角を現します。安宅氏は、淡路各地に城を築き、その主な城は「安宅八家衆」の城と称されました。白巣城もそのひとつに数えられています。安宅氏は、三好氏とともに畿内を転戦し、三好政権の一翼を担いますが、三好長慶の弟である安宅冬康が松永久秀の譫言により自害させられると、その勢いにも陰りが生じます。
元亀元年(1570)、第一次信長包囲網に加わった淡路の国人衆は、野田城・福島城の戦いで織田信長に勝利を収めます。この戦いで「淡路十人衆」(安宅氏も含む)が登場(※十人衆は地誌により異なる)、国人衆の連合体が冬康亡き後も、ある一定のまとまりを見せていたことがうかがえます。
天正9年(1581)、信長の命令で羽柴秀吉が淡路攻めを敢行。国人衆は悉く降伏したと伝わります。その中で、白巣城主は唯一抵抗し、攻め滅ぼされたと言われています。落城時の伝説は今でも地元に語り継がれています。
翌10年(1582)、秀吉配下の仙石秀久が洲本城に5万石で入城、淡路島の戦国時代は幕を下ろします。
兵庫県指定史跡
築城年代と城主
白巣城は、江戸時代の地誌や出土遺物から、16世紀の初め頃に築城されたと考えられています。城主は、安宅九郎左衛門冬秀と伝わっていますが、安宅氏とどのような関係であったかは不明です。
縄張り
白巣城は、南北約350m、東西約300mで120程ある淡路島の城の中でも最大規模を誇ります。江戸時代の地誌『味地草』には、「高嶺四方険峻にして要害無双の地也」とあります。曲輪は、本丸・東の丸・西の丸・馬繋場・馬責場・米倉からなり、自然の地形を活かした縄張りとなっています。
東の丸、馬繋場には土塁が施されています。各曲輪を区切るように堀切が要所にあり、中でも馬繋場北側の堀切は、淡路島の城の中でも最大の規模を誇ります。また本丸の南側斜面には、畝状竪堀らしきものが確認されます。
白巣城伝説
白巣城には、落城時の伝説が多く残っており、今も地元で語り継がれています。竹の皮合戦
秀吉軍が攻めてきた際、城へと続く道に竹の皮を敷き詰めて足止めをしたが、竹の皮に火を付けられ城まで炎上した。黄金の鶏
落城の際、城主が家宝である黄金の鶏を立岩の下に隠し、自ら大蛇となって立岩に巻きつき宝を守った。今も丑三つ時には、立岩の下から鶏の鳴き声がするという。焼けた米
白巣城跡からは、焼けた米や麦が出土する。それを持って帰ると城主の祟りでお腹を壊すという。