撫養城(むやじょう)
撫養城の基本情報
通称・別名
- 岡崎城、林崎城
所在地
- 徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町
旧国名
- 阿波国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 益田正忠
築城年
- 不明
主な改修者
- 不明
主な城主
- 小笠原氏、益田正忠(蜂須賀氏家臣)
廃城年
- 寛永15年(1638)
遺構
- 曲輪、石垣
指定文化財
- 市史跡(岡崎城跡)
再建造物
- 模擬天守(旧鳥居記念博物館)、石碑、説明板
周辺の城
-
土佐泊城(徳島県鳴門市)[1.3km]
木津城(徳島県鳴門市)[3.9km]
鈴江城(徳島県徳島市)[9.6km]
勝瑞城(徳島県板野郡)[10.2km]
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板西城(徳島県板野郡)[16.3km]
夷山城(徳島県徳島市)[16.4km]
撫養城の解説文
[引用元:Wikipedia「撫養城」の項目]
撫養城(むやじょう)は、徳島県鳴門市撫養町林崎にある日本の城跡。別名は岡崎城、林崎城。「岡崎城跡」として市指定史跡に指定されている。
概要
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。
その後三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。
天正13年(1585年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。
一国一城令により、寛永15年(1638年)、廃城となった。
現在の遺構
曲輪や石垣の跡が残っている。城跡のある妙見山は妙見山公園として整備されており、頂上近くには三層の模擬天守が建てられている(本来の撫養城には天守は無かった)。
天守内部は徳島県立鳥居記念博物館(鳴門市出身の人類考古学者、鳥居龍蔵の業績を記念した博物館)となっていたが2010年(平成22年)11月に徳島県文化の森総合公園へ移転した。
2016年(平成28年)3月より旧徳島県立鳥居記念博物館を地域の交流施設であるトリーデなるととしてリニューアルオープンした。
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撫養城の口コミ情報
2023年08月22日 ノム土佐守
撫養城
撫養城からの景色最高でした。対岸の土佐泊城跡、その奥が淡路島!
2020年09月15日 小太郎左衛門督南畿道19國守
撫養城
鳴門市役所から車で5分ほど、妙見山公園の一角に位置し、同公園や鳴門ガレの森美術館の案内看板を目標に迎えます。別名「岡崎城」で妙見山山頂付近に三層四階コンクリート製模擬天守が設けられています。以前の県立鳥居記念博物館は、移転していて現在は、多目的ホール・室などで使用されているトリーデ鳴門となっていて、土日休日等に使用されているようです。遺構としては、妙見神社本殿裏側の石垣が顕著に残っています。
2017年09月19日 織田上総介晃司
撫養城
妙見山公園の駐車場は広く、かなりの台数が停めれます。
妙見神社本殿の裏手に撫養城の石垣が残ってます。
模擬天守は考古学者の鳥井龍蔵記念博物館だったが、今はどうなってるのかよくわかりません。
鳴門の渦潮はやはり見ておきたい
2015年10月13日 まー刑部卿
撫養城
先人の言われたとおり11/30まで耐震補強工事のため立入禁止。近くだとわかりにくいが遠くからだと足場が気にならなければ撮影出来る。
また駐車場から妙見神社までの道のり、妙見神社拝殿裏にある石垣は遺構と言えよう。
2015年09月21日 青コアラ美濃守
撫養城
妙見神社の社殿裏に石垣が残っています。
模擬天守は改修中(?)のようで、入るのはおろか、外観もほとんど見えません。
2011年08月13日 けん1945
撫養城
お城が立ち入り禁止になってました