津幡城(つばたじょう)
津幡城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 石川県河北郡津幡町字清水
旧国名
- 加賀国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 平維盛
築城年
- 寿永2年(1183)
主な改修者
- 前田利家
主な城主
- 平惟盛、津幡氏、富樫氏、前田秀継(前田氏家臣)
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪
指定文化財
- 町史跡(津幡城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
森城(石川県かほく市)[5.0km]
堅田城(石川県金沢市)[7.3km]
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松根城(石川県金沢市)[7.8km]
切山城(石川県金沢市)[8.2km]
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安養寺城(富山県小矢部市)[10.2km]
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蓮沼城(富山県小矢部市)[11.2km]
柚木城(石川県金沢市)[11.9km]
津幡城の解説文
[引用元:Wikipedia「津幡城」の項目]
津幡城(つばたじょう)は、加賀国加賀郡(のち河北郡[1])津幡(現・石川県河北郡津幡町清水)にあった日本の城(平城)。昔から交通の要衝であった。現在は石標のみが立てられている。
歴史
平維盛が寿永2年(1183年)倶利伽羅峠の戦いの際津幡川に面した、小高い丘に砦を設けたことに始まる。建久元年(1190年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城とした。
観応2年(1351年)には、富樫氏春がこの城で、桃井直常軍と戦っている。
天正4年(1576年)から一向一揆が立て籠もっていたが、天正9年(1581年)織田方の柴田勝家らによって落城した。
天正12年(1584年)佐々氏と前田氏の間に緊張が高まると、前田利家が再び築城。弟の前田秀継に守らせている。9月、末森城包囲中の佐々軍攻略の軍議をここで開く(末森城の戦い)。天正13年(1585年)、前田秀継が木舟城に移ると廃城となった。
その後、跡地には津幡町立小学校が建設されたが、老朽化により隣地へ移転し、現在は津幡ふるさと歴史館「れきしる」が建設されている。
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津幡城の口コミ情報
2023年09月27日 在来線男右京進
津幡城
津幡城址の石碑は10m四方の小さな丘に立っています。手前に津幡ふるさと歴史館の駐車場があり10台くらいとめれます。館の裏に冷泉為広卿の塚があります。館は比較的に新しく古代から現代まで簡潔に展示されています。
2023年02月27日 氷室能登守新太郎
津幡城
津幡町立れきしる館があります。小さな施設ですが時間があればご覧ください。
2022年04月18日 しぇるふぁ加賀守
津幡城
付近の関連城郭として、津幡町七黒地区に鳥越城があります。100名城に登録されている白山市の鳥越城と同名ですが、全く別の城です。
笠野トンネルの真上に位置する城で、津幡城と同じく津幡町史跡に登録されています。ニッポン城めぐりアプリでは未登録ですが、iOS対応マップなどにはしっかりと鳥越城跡の記載があります。登城口は笹藪に覆われていて思うように進むことができず、この日の登城は断念しました。
ただ、登城口横には案内板が設置されており、佐々成政から防衛するための拠点だったことが記されています。(写真参照)