切山城(きりやまじょう)
切山城の基本情報
通称・別名
- 向山砦
所在地
- 石川県金沢市桐山町
旧国名
- 加賀国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不破氏?
築城年
- 天正12年(1584)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 不破氏、前田氏
廃城年
- 天正13年(1585)
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、外枡形虎口、馬出
指定文化財
- 国史跡(加越国境城跡群および道)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
堅田城(石川県金沢市)[3.7km]
柚木城(石川県金沢市)[3.7km]
松根城(石川県金沢市)[3.8km]
御峰城(富山県南砺市)[5.9km]
一乗寺城(富山県小矢部市)[6.7km]
宇多須城(石川県金沢市)[7.3km]
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安養寺城(富山県小矢部市)[8.6km]
金沢城(石川県金沢市)[8.7km]
蓮沼城(富山県小矢部市)[11.7km]
切山城の解説文
切山城の口コミ情報
2023年11月24日 装鉄城大膳大夫乱怒
切山城
国道304号から北陸自動車道の下を潜るトンネルを越えて坂を上がっていくと切山城へ上がる林道が左手みに見えます。ここで車を止めて、10分ほどで城跡到着しました。曲輪、土塁が綺麗に残っています。
2021年12月02日 雪那【槍の又左】
切山城
春風亭昇太師匠も訪城された切山城。歴史の道百選として選定された小原越えに、越中佐々成政方の松根城と、加賀前田利家方の切山城が、加越国境を挟んで対峙していました。国指定史跡で、歴史の道に選定され整備が進み、凄く見やすくなっています。Googleマップで行き着く場所に黄色いロープが張ってあります。そこから歩いて入っていくと説明板が出てきます。
2020年04月03日 美濃守ヒーロー
造林作業道入口[切山城 その他]
城跡東側の造林作業道からアクセスしました。林道入口はチェーンスタンドと1本の鎖で車は入れないようになってますが立ち入禁止ではなかったです。
舗装されてない砂利道そして坂道ですが、徒歩15分ぐらいで辿りつけます。案内版と石碑も造林作業道沿いに立ってますので城跡の目印になると思います。
城跡は小さいながら技巧的な山城で主郭周辺は見易いです。外桝形虎口が一番の見応えです。小越峠付近の地形は藪でよく分かりませんでした。
帰りに林道入口にて老夫婦に出会う。山菜を取りに行くとか。慣れた手つきでチェーンを外し、車で坂道をホイールスピンしながら滑走する、軽バン4WD。強者の姿がそこにはあったわ^ ^
リア攻めマップに林道入口の印を付けて置きますが、徒歩推奨です。山奥の為、動物類など注意もお願いします。
2016年06月08日 あきおこ
切山城
西側民家から高速上の橋を経て登城するルートは高速を渡った所で、地元自治会が設置した車止めで封鎖されています。熊出没の為、地主以外は入山禁止とのこと。国史跡なのでなんとかして欲しいものです。(2016年6月4日訪城)
2010年06月28日 tomm加賀守
切山城
林道沿いにあり郭・土塁・堀などが残っていますが、現在は完全に藪林です…
しかし今後、城跡の整備に着手し展望台や案内板の設置をする計画があるとの事なので、期待して待ちたいと思います。
ちなみに林道はほとんど交差できません。
切山城の周辺スポット情報
造林作業道入口(その他)
加越国境城跡群及び道の歴史
加賀国と越中国を結ぶ国境沿いの街道にはいくつもの山城、加越国境城跡群が築造されていた。その歴史的背景は、織田信長亡き後の天下統一へ向け、天正12年(1584)、羽柴秀吉と敵対した織田信雄・徳川家康連合軍が尾張の小牧・長久手で争ったことによる。前年の賤ヶ岳合戦の後、秀吉に降伏することで越中に留まった佐々成政は、これを機に反秀吉へと方針転換し、秀吉方の前田利家と敵対した。
成政は8月に朝日山城を攻撃した後、9月には末森城(宝達志水町)を攻めるが、いずれも失敗する。天正13年になると、両者が国境付近への侵入を繰り返す中、しだいに前田勢が優勢になり、秀吉遠征軍の登場によって成政は降伏した。この後、越中の西半分が利家の長男利長に与えられたことで、加越国境付近の緊張状態は解消され、城郭群は不要になったと考えられる。
城郭群は広範囲に分布しているが、金沢市域には小原越の切山・松根、二俣越の高峠・荒山、田近越の朝日山の各城跡が所在している。城郭を比較すると、推定佐々方城郭は規模が大きく、高度な縄張り技術を駆使しているのに対して、前田方の城郭は規模で劣るものが多いといえる。
秀吉は、成政が山(加越国境付近か)を占拠したからといって、軽率な行動は慎むように利家に厳命している。約400年の時を超えて現在に残された城郭群の構造が、すでに味方がなく孤立した成政と秀吉の援軍を待つ利家の政治的状況を示している可能性が考えられる。
切山城跡の特徴
切山城跡は、森下川と切山川、清水谷川に挟まれた標高139メートルの尾根頂部を中心に造成された南北250メートル、東西200メートルほどの山城跡である。主郭(最も大事な平坦地)を中心とした平坦地群及びその東側に広がる平坦地で構成され、城の両端は堀によって城域を限っている。主郭周辺は工夫した出入口(馬出、連続する外枡形虎口)を備えており、コンパクトながら、高い防御力を備えている。東側の越中方面には規模の大きな堀を設けていることから、越中の佐々方の攻撃に備えた前田方が築城もしくは改修した城郭であると考えられる。主郭には礎石建物による城門が整備されており、城門の脇を固める土塁上には、柵列もしくは塀が存在し、城門の姿が明らかとなった。また城の南側に一部残る小原越とされてきた遺構は、当初の小原越ではなく、城の横堀であったことがほぼ確実である。城によって旧小原越が遮断し、戦時封鎖していたことが想定され、当時の加越国境における緊迫した状況を伝えている。