宇多須城(うたすじょう)

宇多須城の基本情報

通称・別名

宇多須山城、卯辰山城

所在地

石川県金沢市卯辰町

旧国名

加賀国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

正平年間(1346〜1370)

主な改修者

主な城主

得江季員、上杉謙信

廃城年

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

金沢城(石川県金沢市)[1.4km]
堅田城(石川県金沢市)[5.6km]
押野館(石川県野々市市)[6.0km]
富樫館(石川県野々市市)[6.6km]
高峠城(石川県金沢市)[6.7km]

宇多須城の解説文

※この城郭は2019年4月6日に名称と位置が変更となりました。

宇多須城(うたすじょう)は石川県金沢市卯辰町にあった城である。宇多須山城、卯辰山城ともいう。

遺構
金沢市街地の東方、現在の卯辰山(うたつやま)にあったとされる。卯辰山には、向山、茶麿山、茶臼山、臥龍山などの別名がある。

宇多須城が卯辰山のどの辺りにあったのかは判然としていないが、最も可能性がある地点とされるのが、卯辰神社(卯辰山天満宮)と豊国神社のある通称・鳶ヶ峰と呼ばれる平坦地である(『大系』)。

『石文』でも豊国神社周辺を遺跡範囲とし、土塁・空堀があるとしているが、慶応3年(1867)には多くの人々が谷を埋めて山上を平均した(『金蹟』)というから、その際に多くの城郭遺構が破壊されたのかもしれない。

歴史
築城年、築城主ともに不明だが、正平24年〔南朝〕/応安2年〔北朝〕(1369)、桃井直和の陣する宇多須山を吉見左馬助が攻略し、ついで松根の陣営まで陥落させたことが、得江季員(すえかず)の軍忠状に書かれている(『金蹟』)。

戦国時代には、天正5年(1577)に加賀にまで攻め入った上杉謙信が一時宇多須山に陣を置き、その山容を見て臥竜山と名付けたという(『金蹟』)。

江戸時代になると、約1km先の金沢城のほぼ全域を見下ろす立地であることを案じた加賀藩により、庶民の立ち入りが厳しく禁じられていた。

交通
JR北陸本線・IRいしかわ鉄道線金沢駅から車で約10分

参考文献
『大系』:『日本城郭大系 第7巻』新人物往来社、1980年。
『石文』:『いしかわ文化財ナビ』石川県教育委員会事務局文化財課。
『金蹟』:『金沢古蹟誌』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。

宇多須城の口コミ情報

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