和田山城(わだやまじょう)
和田山城の基本情報
通称・別名
- 寺井城
所在地
- 石川県能美市和田町
旧国名
- 加賀国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 和田坊超勝寺
築城年
- 永正3年(1506)
主な改修者
- -
主な城主
- 和田坊超勝寺(一向一揆勢)、安井家清(柴田氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(和田山・末寺山古墳群)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
小松城(石川県小松市)[6.6km]
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和田山城の解説文
和田山城の口コミ情報
2024年07月15日 気分爽快豊後守
和田山城
小高い丘に築かれているので、小雨の降る中傘をさしながら攻城してきました。二の丸、本丸の櫓台は古墳を利用しているとのことですが、バチが当たらんのだろうか。ただ、古墳群のおかげか、整備されていて横堀、土塁が見やすくなっています。
北尾根の綺麗に並ぶ古墳を見ると、二の丸周囲の巨大堀でいくつか古墳掘り起こしてないか?といらぬ心配をしてしまいました。
①二の丸北の横堀
②二の丸の櫓台
③二の丸。奥は櫓台
④土橋と二の丸東の横堀
⑤虎口と土橋と堀と土塁
⑥本丸に続く土塁
⑦本丸の土塁
⑧西側の腰曲輪
2024年04月18日 RED副将軍
和田山城
空堀が見事な加賀一向一揆衆の拠点
オススメ度 ★★★★★
1506年に和田坊超勝寺によって築かれたと云われます。
和田坊超勝寺は、越前で勢力を拡充した本願寺派の一向一揆勢力であり、朝倉氏に追われて加賀へ逃れてきた際に築いた拠点が和田山城とされます。その後、加賀の土着の門徒衆とも抗争を繰り広げるも勝利し加賀一向一揆衆の主導権を掌握。大聖寺城の支城として機能した様です。
しかし、天正年間(1573年~1592年)に織田信長の軍勢が越前一向一揆を敗り、加賀に侵攻し平定されます。
その後、北庄城に入った柴田勝家の家臣である安井家清が和田山城に入城しました。現在に残る遺構はこの頃に改修されたものと見られています。
また1600年の関ヶ原の戦いの際に、前田利長が小松城の丹羽氏や大聖寺城の山口氏を攻撃するために陣城として利用したとも云われています。
見所
和田山・末寺山古墳群がある比高約30mの和田山と呼ばれる低丘陵南端にに築かれています。
主郭は南端にあり、周囲に土塁が巡り中央に和田山9号古墳があります。西側にスロープ構造の虎口が開口し北へ伸びる二郭に通じています。
二郭も北端が古墳を用いた櫓台構造となっています。
最大の見所が主郭と二郭の東側から北側にかけて巨大な横堀が巡り外側には土橋状の通路が付いています。整備状況も素晴らしいので年中見応えのある空堀を見ることができます。
行き方は、能美ふるさとミュージアムを目標に設定し駐車場を利用。すぐ東側が城域です。
国史跡にも指定されており和田山史跡公園として整備されています。
2022年05月27日 しぇるふぁ加賀守
二口城[和田山城 周辺城郭]
遺構は残っていませんが城址碑と案内石板があります。現在は春日神社の境内になっています。
2022年02月10日 加賀守モガ
和田山城
見学にはとてもいいですが時期によっては虫が多いので注意です。周囲には多くの古墳があるので古墳群も併せて見学できます。
2019年06月24日 左衛門佐Kent
和田山城
十数基の古墳群の中に、土塁や高床式倉庫跡、護国寺跡など、見所満載です。
ただ時期的に、草は生え放題かつスズメバチにも遭遇したので、訪れる際は充分注意を。
2019年06月14日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
和田山城
古墳群を加工☆空堀と土橋を造る☆天下統一目指す信長の前に和田山城も抑えられる☆南加賀の重要な戦略拠点であるこの城☆一向一揆衆が立て籠もる虚空蔵城や鳥越城攻撃の基地に使われる☆
2019年06月14日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
和田山城
(左張出)8号墳を利用した櫓台と空堀☆戦国時代に入ると加賀国は一向一揆が力を持つようになる☆和田坊超勝寺によりこの和田山城は築かれる☆
2019年05月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
和田山城
主郭の櫓台は9号墳を利用☆織田の家臣・安井左近が城主となり一揆衆と対峙☆一揆衆は白山麓の船岡・鳥越城など諸城に移り最後の抵抗を試みる☆
2019年05月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
和田山城
古墳群を利用した城郭・和田山城☆8号墳を櫓台とし空堀を形成☆越前一向一揆を制圧した織田信長は加賀にも侵入☆
2011年05月02日 三河守コーキしゃん
和田山城
もともとは古墳だった所を本丸櫓台にしてあるお城でした土橋や空堀などがしっかり残っています特に二ノ丸の空堀はかなり長いので迫力あります
和田山城の周辺スポット情報
上杉・織田 手取川の戦い 古戦場碑(碑・説明板)
二口城(周辺城郭)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
尾根の中央に虎口、枡形門を置き、そこを中心として南に本丸、北に二の丸が配置されている。西側斜面は東側斜面と比べ急斜面となり、斜面中腹には腰曲輪が配置され、空堀はみられない。東斜面には本丸から延びる空堀に平行して曲輪が配置されている。
本丸は二重に仕切られた複郭式で台状形を呈し、長辺約60m、短辺約30mを測る。中央部には古墳の墳丘(和田山九号墳)があり、築城時に物見櫓に利用されたものとみられる。
二の丸はほぼ方形を呈し、長辺約50m、短辺約22mを測る。北端には古墳の墳丘(和田山八号墳)があり、本丸と同様、古墳の墳丘を物見櫓に利用したものとみられる。
和田山古墳群の発掘調査に伴い調査が行われたが、城の年代を知りうる遺物等は発見されていない。
室町時代中期に和田坊主が初めて築城したとの伝承もありが、詳細は不明である。現在の城の形は天正8年(1580)に柴田勝家が安井家清に本城を守らせた頃のものとされている。