安吉城(やすよしじょう)

安吉城の基本情報

通称・別名

所在地

石川県白山市安吉町

旧国名

加賀国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

大窪家長

築城年

天文年間(1532〜1555)

主な改修者

主な城主

大窪氏、窪田大炊介(大窪氏家臣)

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

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安吉城の解説文

安吉城は、手取扇状地の扇央部、標高約42mに位置し、南方3kmには手取川が流れる。天文年間に3.5km西の源兵衛島から、大窪源左衛門が移り住み、築いた城と伝えられる。

大窪源左衛門は一向一揆河原組八千騎の旗本で、川筋一帯の4万石の領主でもあった。嘉永5年(1852)の「石川郡安吉古城図」によれば、主郭が15間×12間で、馬出し、外堀、土塁を備え、城域は80m四方に及ぶ。城の西外堀は現在も残り大行事(大慶寺)用水が利用されている。

城は一向一揆の解体とともに廃絶されたものと推定される。

現存する遺構として確実なものは見られないが、主郭推定地の山島公民館には石碑「安吉城址」が建立されている。ただ南外堀推定地に土塁状の高まり(幅12m、高さ70cm)がみられ、聞き取り調査によれば、20年ほど前に土盛りしたものらしいが、土塁の上に再度盛土した可能性も残る。

明治11年の「加賀国石川郡安吉村一村限周囲分間地引絵図」により、城の堀の位置が推定できる。また、城周辺に残る地名には「安吉城址」「城」「城南橋」や、城主大窪源左衛門の妻が、守護富樫政親の家老の妹であることから、嫁入りの時に化粧田として与えられた「おわん田」、源左衛門の家臣田屋大炊に由来する「田屋橋」「田屋先」が残る。

田屋大炊は、十一面観音を厚く信仰し、鶴来の安養寺に堂宇を建立しており、源左衛門も安養寺の神田神社に花瓶を寄進している。

また、北400mには、天文20年(1551)に源左衛門が出家して創建した浄土寺が現存し、鎌倉期の阿弥陀如来坐像や蓮如上人御文章が残されている。

南500mの寄新保町には家臣毛利次郎右衛門の館が、東1200mの向島町には同じく林四郎左衛門の館が所在している。

情報提供:白山市文化財保護課


安吉城の口コミ情報

2022年05月26日 芦屋能登守虎吉
安吉城



旧山島村役場が城跡です。山側環状から少し入ったところにありました。一向一揆の拠点のようですが、遺構らしきものはありませんでした。

2013年07月03日 強襲ほうらい祭揚陸波
安吉城

公民館前の城址碑と石碑以外に城跡を感じさせるものはない。
公民館は馬場跡らしいですが、それもよくわかりませんでした。

石碑には安吉城の歴史が刻まれていますが、植えられた木々がこれを遮り、読むのも一苦労。

ここから北へ徒歩3分ほどのところに、初代城主 大窪源右衛門蔚家長が家督を姉婿の窪田大炊允経忠に譲って出家したのちに建立したお寺があります。
一向衆の拠点として柴田勝家と戦った安吉城は落城しました。
しかし、一向衆の寺院、真宗大谷派 大窪山 浄土寺は現在も息づいています。

2010年06月23日 tomm加賀守
安吉城

遺構は無く、公民館前に城址碑と石碑があるのみです。

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