小松城(こまつじょう)
小松城の基本情報
通称・別名
- 芦城、小松の浮城
所在地
- 石川県小松市丸の内町
旧国名
- 加賀国
分類・構造
- 梯郭式平城
天守構造
- 御三階櫓[3重3階/1639年頃築/破却]
築城主
- 若林長門
築城年
- 天正4年(1576)
主な改修者
- 前田利常
主な城主
- 若林長門、村上頼勝、丹羽長重、前田利常
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、移築門
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
御幸塚城(石川県小松市)[3.8km]
和田山城(石川県能美市)[6.6km]
波佐谷城(石川県小松市)[8.8km]
岩倉城(石川県小松市)[11.3km]
勅使館(石川県加賀市)[13.1km]
小松城の解説文
[引用元:Wikipedia「小松城」の項目]小松城(こまつじょう)は石川県小松市丸の内町にあった城郭。
【概要】
天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となり、2代藩主前田利常の隠居城になった。その後は加賀藩の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。
本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。
【遺構】
現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の石垣が残る。建造物としては、鰻橋御門が小松市園町来生寺寺門に移築され現存し、兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市兼六成巽閣で、二階御亭入口扉が小松市丸の内公園町小松市立博物館で、それぞれ保管されている。
【沿革】
・天正4年(1576年)、加賀一向一揆方の若林長門によって築城された。
・天正7年(1579年)、柴田勝家に攻められ落城、村上義明が城主となった。
・慶長3年(1598年)、村上義明に替わり、丹羽長重が入城した。
・慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて西軍に組した丹羽長重が除封され、前田利長の所領となり城代が置かれた。城代は利長の義兄の前田長種。
・元和元年(1615年)、一国一城令により廃城となる。
・寛永16年(1639年)、前田利常の隠居城として再築され、石垣の構築、二の丸三の丸の増築等、大規模な改修が加えられた。
・万治元年(1658年)、利常が没し、以降明治まで城番が置かれ維持された。
・明治5年(1872年)、廃城となる。
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小松城の口コミ情報
たけちゃん様[2016年11月25日]
二の丸跡付近にある稚松小学校に残る城門も、見所のひとつ。
まるき〜淡路守様[2015年11月16日]
でーんと高台に構えた四角い天守台のみのあまり見所も無く、
近所に駐車場も無いのでゆっくりと
観る様な気にもなれない…
ま、見学時に雨が降っていたので言い訳ですが…
天守台に登る石段が付いているが
管理上、安全上の都合でロープで封鎖されています。
天守台の周りは枯れた草を踏むように、時折水の中へ足をつっこんだり
と足元は悪いです。
周りは学校のテニスコートと住宅地
ですので、怪しい人と思われぬ様な配慮が必要な場所なのかもしれません。
まー宮内卿様[2015年05月01日]
石垣そばにテニスボールが結構落ちてます。部活中の登城には気をつけたほうが良い。
178ックス因幡守様[2013年10月14日]
小松高校のグラウンド横にある本丸櫓台の石垣は、金沢産の戸室石と
小松産の鵜川石を、それぞれの石の特徴を
生かしながら見た目にも美しくみえるよう積まれているそうです(*'▽'*)
三河守コーキしゃん様[2011年05月02日]
公園の片隅にドカンと天守台のみ置いてある感じです残りの遺構は怪しげな井戸とほぼ埋まってしまった天守台横の石垣です(地下に4m近く埋まってるらしい)
徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月23日]
[武将像]前田利常像
三ノ丸跡に位置する芦城公園に立像。