浜田城(はまだじょう)

浜田城の基本情報

通称・別名

亀山城

所在地

島根県浜田市殿町

旧国名

石見国

分類・構造

梯郭式平山城

天守構造

独立式望楼型[3重/1623年頃/焼失(落城)]

築城主

古田重治

築城年

元和5年(1619)

主な改修者

主な城主

古田氏、本多氏、松平氏

廃城年

慶応2年(1866)

遺構

曲輪、石垣、門(他所より移築)、土塁

指定文化財

県史跡(浜田城跡)、市指定文化財(浜田城裏門跡)

再建造物

周辺の城

笹山城(島根県浜田市)[4.7km]
周布城(島根県浜田市)[6.7km]
三隅城(島根県浜田市)[16.4km]
針藻城(島根県浜田市)[17.8km]
一本松城(島根県浜田市)[18.1km]
重富城(島根県浜田市)[21.0km]
市山城(島根県江津市)[22.7km]
福光城(島根県大田市)[31.0km]
丸山城(島根県邑智郡)[31.6km]
益田氏城館(島根県益田市)[32.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)170 浜田城

設置場所

浜田護国神社社務所[地図
浜田市浜田城資料館[地図

浜田城の解説文



浜田城(はまだじょう)は、石見国浜田(島根県浜田市殿町)にあった日本の城。江戸時代には浜田藩の藩庁が置かれていた。

概要 

浜田市中心部にある浜田川に囲まれた標高68メートルの独立式丘陵に築城された。この丘陵は別名、亀山と呼ばれている。本丸の下に狭い二の丸・三の丸・出丸が配されている。北部を松原湾、東部を浅井川、南部・西部を浜田川によって天然の掘割としていた。

浜田城を藩庁とした浜田藩は最初の藩主・古田氏以外は譜代・親藩が入れ替わり治め、長州藩に対する山陰側の押さえの最前線とされた。

建物は長州征伐で長州藩軍に攻められた際に(当時の浜田藩主は松平武聡)、城を捨てて藩兵が火を放ち殆どが焼失した。

現在は城山公園として、本丸から三の丸にかけて階段状に石垣が残り、登城口に津和野藩武家屋敷より移築された門がある。ただし、往時此処には門は存在していない。また、登城口には小説家司馬遼太郎の碑文「浜田藩追懐の碑」がある。

歴史 

  • 元和5年(1619年)-古田重治が大坂の陣の功績により浜田に5万4000石を与えられ入封。
  • 元和6年(1620年)2月-築城開始。
  • 元和9年(1623年)5月-城と城下町が完成。
  • 慶安元年(1648年)-2代・重恒、お家騒動(古田騒動)を起こし改易。
  • 慶安2年(1649年) 松平(松井)康映が5万石で入封。5代にわたって在封。
  • 宝暦9年(1759年)-5代・康福、下総国古河藩に転封。本多忠敞が5万石で入封。
  • 明和6年(1769年)-3代・忠粛、三河国岡崎藩に転封。同地より松平(松井)康福が再び55,400石で入封。
  • 天保7年(1836年)-3代・康任の時、清・朝鮮との密貿易(竹島事件)が発覚。康任は隠居し、4代・康爵は陸奥国棚倉藩へ転封。上野国館林藩より松平(越智)斉厚が6万1千石で入封。
  • 慶応2年(1866年)-第二次長州征伐。長州藩の大村益次郎が進軍。藩主・武聡は戦わずして逃走。この際に、敗残の兵が浜田城、浜田の街に放火し同時に灰燼に帰した。
  • 昭和37年(1962年)6月12日-県指定史跡に指定される。
  • 昭和42年(1967年)-浜田県庁正門(津和野藩武家屋敷の門)を浜田城の山麓に移築。
  • 平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(170番)に選定される。

形式と構造 

縄張(基本配置)

浜田市中心部にある浜田川に囲まれた標高約68メートルの独立式丘陵の頭頂部を平坦にして本丸が築かれ、本丸の南側に狭い二の丸・三の丸、西側に出丸が配された梯郭式平山城。北部を松原湾、東部を浅井川、南部・西部を浜田川によって天然の掘としていた。城下町は城の周囲に武家屋敷を、浜田川以南に町屋を設けられていた。本丸には天守を設けられていた。

本丸

本丸の規模は南北約60メートル、東西約50メートルの約0.3ha。本丸は北西隅に三重櫓、南東隅に本丸御門と六間長屋があり、中央付近に玉蔵が置かれていた。周囲は塀で囲われていた。

天守(三重櫓)
本丸の北西隅に置かれた独立式望楼型三重櫓。天守台は最初から造営されることはなく、本丸に礎石を置いて天守が建てられた。天守の高さ約14メートルで鯱の大きさは約1.4メートルであった。
上層階の広さは四方約9.1メートル、中層階は四方約12.7メートル、下層階は南北約9.1メートル、東西約16.4メートル。明治時代初期頃まで存在した。

本丸御門(ほんまるごもん)
浜田城本丸の正門(南側)の役割を果たしていた門。通称、本丸一の門。東側に存在した六間長屋と隣接していた。石垣が現存している。

六間長屋(ろっけんながや)
本丸の南東隅に存在した多聞櫓。倉庫としての役目を持っていた。西側に存在した本丸御門と隣接していた。

玉蔵(たまぐら)
本丸の中央付近に存在した蔵。広さは約5坪で、鉄砲の弾丸などの武器類を収納していた。

二の丸

本丸の南側に位置する郭。山麓にも二の丸が存在し、焔硝蔵や本丸常番所、時打番所、中ノ門などが置かれていた。

二ノ門 (渡門)
二の丸に存在した櫓門。虎口は枡形で、進路を阻む構造になっていた。浜田城内最大の門で、内部の規模は四方南北約3.6メートル、東西約5.4メートル。門の脇の石垣上には二ノ門の上階にある長屋と接して塀が廻っていた。現在は門の石垣が現存しているが、一部だけ石垣が崩落して土塁となっている箇所がある。

三の丸

二の丸の南側に位置する郭。二の丸と同様に山麓にも三の丸が存在し、御殿や諸役所、御用米蔵、大手門などが置かれていた。

出丸

本丸の西側に位置する郭。別名、本丸脇千人溜り。規模は東西約24.2メートル、南北23.9メートル。出丸への通路は北側と二の丸へと繋がる通路が南側に1ヶ所ずつある。二の丸と同様に山麓にも出丸が存在し、城の南側にある小高い独立式丘陵にあった。通称、夕日ノ丸と呼ばれており、現在は本丸の西側にある出丸と同様に薮や林になっている。

出丸木戸(でまるきど)
出丸の北側に存在した出入り口。出丸木戸を出ると、本丸の石垣の周囲を廻る道に出る。現在は薮や林になっているため、辿り着くのは困難である。

遺構・現存建造物 

本丸や二の丸の二の門などの石垣や土塁が現存している。慶応2年(1866年)第二次長州征伐の際に城の建造物は全て焼失したが、山麓に津和野藩武家屋敷の門が移築されている。

現地情報 

所在地

  • 島根県浜田市殿町

交通アクセス

鉄道
  • JR西日本・山陰本線 浜田駅(北口)より西へ徒歩約20分
  • JR西日本・山陰本線 西浜田駅より北東へ徒歩約60分

自動車
  • 浜田自動車道・山陰自動車道 浜田ICより西へ約5分
  • 山陰自動車道 浜田東ICより西へ約15分

浜田城の口コミ情報

2024年03月07日 左京大夫日本三景を観に行こう
浜田城



浜田駅から本丸まで徒歩で30分くらいです。日本海に面していて眺望は絶景です。一見の価値有りです。

2023年10月25日 RED副将軍
浜田城



約250年間に渡り藩庁として機能した浜田藩政の中心地

続日本100名城

1620年に古田重治により築城。
吉田重治は、大坂の役の戦功により伊勢国松坂から浜田へ加増転封となったため新たに浜田城を築いて浜田藩を立藩しました。
1648年に二代藩主の古田重恒が没するも嗣子がいなかったため古田氏は改易となり代わって松平康映が入封。松井松平氏が五代続いた後、本多氏が三代続き、その後は再度松井松平氏が四代、越智松平氏が四代続いて幕末を迎えました。
幕末期の第二次長州征伐の際、浜田藩は長州藩の大村益次郎に敗れ、自焼退城となり廃城となりました。

見所
松原湾と浜田川に囲まれた標高68mの独立丘陵上に築かれています。
頂部に本丸を配し、南側に二の丸と三の丸、西側に出丸が配された梯郭式平山城です。
特に三の丸から本丸にかけての階段状の石垣群は美しく、県庁門を潜り最初の石垣は定番の撮影ポイントです。
三の丸下の移築旧浜田県庁門は津和野藩武家屋敷の門でもあります。
近世城郭らしい高石垣に加えて、流紋岩による算木積みは幕末期の改修によるものです。

2023年10月15日 駿河守スーさん
浜田城



浜田駅から歩いても20分くらいですが、バス3番乗り場から少ないながらバスも。殿町で降りて10分ほどです。本丸からは三方に海が見え、眺めがとてもよかったです。

2023年07月19日 八幡川宮内卿猿猴
浜田城



本丸から望む日本海は、絶景です!登っている途中には、枡形の石垣が沢山ありました。

2022年11月26日 延暦寺覚恕
浜田城



護国神社から奥に進み、小高い丘の上には石垣が僅かに残るだけですが、天守跡からは日本海の眺望は楽しめます。

2022年06月26日 幸運兎治部卿
浜田城

無料駐車場から遊歩道を登ると本丸があった広場に登れます。坂は少しきついですが、景色の良い場所なので、おすすめてす。

2022年05月09日 【城郭道】たっきー
浜田県庁の門[浜田城  遺構・復元物]

浜田県庁舎のために津和野城から移築された門です。上方に湾曲した起屋根をもつ薬医門形式です。1967年に現在地に移築されましたが、本来ここに門はありませんでした。

2022年04月30日 まつぎん主計頭
浜田城



浜田城資料館は無料なのに建物も展示物も立派。本丸には護国神社経由で30分かからない。山城ではあるが割と気軽に登れる。

2022年03月30日 かん治部大輔
浜田城

中ノ門から入る場合は、護国神社の前を通り過ぎて、車両不可の小道に入っていき、突き当たりを左。民家と民家の間の狭い通路を登ると中ノ門です。しかし本当に民家の前なので、足早に通らせていただきました。

まさかそんな狭い通路とは思わず、しばし徘徊してしまいました。あまり推奨されていないコースなのかもしれませんが、石組みは立派で、門の内側には一応説明板もあります。足元は草や苔、水たまりなどあり、観光資源としては放ったらかしの感じがもったいない気持ちされられる遺構ですが、民家や山に溶け込んだ風情もまた良し。靴は滑りにくいものが良いと思います。

2022年03月26日 安芸守 あきら
登城口[浜田城  その他]



浜田城資料館駐車場の横にある登城口です。浜田城資料館で予習してここから登城するのも良いと思います。登城道はしっかり整備され、車も入ってこないので、安心して登城できます。

2022年03月26日 安芸守 あきら
浜田城資料館駐車場[浜田城  駐車場]



浜田城資料館と浜田城来場者用の駐車場です。トイレもあります。少し離れた場所にも駐車場がありますので、ここが満車でも安心です。下から攻城したい人にオススメです。

2022年03月26日 安芸守 あきら
夕日ノ丸[浜田城  遺構・復元物]



国道9号を挟んで南側にある夕日ノ丸。茶屋や平櫓も建てられていた。現在はレストランやワイン専門店、民家があります。国道9号は堀切の跡でしょうか?国道のルートマークの町名も【殿町】でお城感満載ですね!

2021年09月30日 陸奥守新九郎
浜田城



浜田城、護国神社までは車🚗で上がれます。本丸からの景色も素晴らしく🖼、CG復元がある解説版もわかりやすいです✨

2021年08月13日 ミルク右近衛大将
浜田城

資料館でスタンプを押して登りました 道は整備されていますが勾配がキツいところもありますのでご注意ください御城印は駅前の観光案内所で販売しています

2021年06月06日 柳生中務大輔三厳
浜田城資料館[浜田城  関連施設]



資料館は無料で展示物も良かったです。
各地の天守模型が特に良かった。
浜田城紹介のVTRは分かりやすく見る価値ありですね。

2021年06月06日 柳生中務大輔三厳
トイレ[浜田城  トイレ]



トイレを撮るのもなんですがまあ綺麗なトイレでした。
裏が資料館ですね。

2021年03月27日 源陸中守@ポンコ2…
浜田城



JR浜田駅から向かわれる場合は、駅一階の観光案内所に浜田城のパンフが置いてあるので、入手すると登城時の参考になります。駅から浜田城まで往路はタクシーで10分弱(¥830)、復路は徒歩20分でした。

駐車場は護国神社に十数台停められそうですが、先達の方が仰るように国道9号から入りにくいし、道も細いです。国道には案内標識がついてました。

護国神社境内の裏に、石垣とともに津和野城からやってきた薬医門があり、そこを潜って道なりに進むと三段石垣やニノ門枡形跡、一ノ門跡を進み本丸に行くことができます。護国神社から本丸まで比高30㍍、徒歩10分ほどでした。本丸まで登城される方の中には、杖を借りてる方もおられました。
また、薬医門のほうに行かずに案内標識に従い、中ノ門跡や裏門跡、焔硝蔵跡なども行けます。
コンパクトながら、三ノ丸高石垣やニノ門枡形虎口、出丸、中ノ門跡など見応えがありました。また、本丸からは日本遺産の外ノ浦などの眺望もよく、また護国神社参道から見下ろした中ノ門跡は、立派な櫓門があったことが伺えました。
本丸は2715㎡の広さがあり、北西隅に三層櫓があったのを案内板で見ることができました。要所要所にこうした案内板があるのはありがたかったです。

お手軽に登城でき、3〜40分あればある程度見て回れるかと思います。

2021年01月13日 役行者河内守武さん
浜田城

この案内看板の舗装されてない方が、本丸方向で、舗装されている方が、社務所で、スタンプや御朱印が貰えたり変えたりできます。

2020年10月11日 KAZ中納言正勝
本丸周辺石垣[浜田城  遺構・復元物]



本丸北側の石垣は、この辺りしか発見出来ませんでした(^_^;)天守下にも廻ってみましたが、写真の様な瓦が散乱してましたが、石垣は無さそうで『多分…石垣に使ってたかな?』って言う石が散乱してました

2020年10月11日 KAZ中納言正勝
出丸[浜田城  遺構・復元物]



現在は、出丸も綺麗に整備されてました(^-^)出丸周辺石垣と裏木戸跡も確認出来ました。西側には二段の帯曲輪状のものも確認出来ました。地元の方々に感謝です*\(^o^)/*

2020年08月12日 大納言Z武蔵守369
焔硝蔵[浜田城  遺構・復元物]



現在は花見の広場として利用されているこの場所に建っていました。1866年、第2次長州征伐で浜田藩は長州藩に敗れ、浜田城を自焼退城にして、大音響とともに爆破されました。

2017年05月28日 織田上総介晃司
浜田城

駐車場への入り口は分かりづらく、国道9号線を益田方面に進むと右側に細い上り坂があります。最初の駐車スペースは月極なので駐車不可。さらに進むと護国神社前に駐車できます。

社殿の右側から奥に進むと、津和野から移築された門と本丸へと誘う石垣と石段があります。

石垣はなかなかの状態で残ってますが、一部歪んでいる石垣や崩れて土塁となったものもあります。

本丸からの日本海の眺めはいいですよ。

ちいさな若君や姫様がいらっしゃれば、松江方面に進むと、バブルリングの白イルカで有名な水族館・アクアスがありますので、連れて行かれると喜ばれることでしょう。

2015年09月04日 コロ助
浜田城

浜田駅から(迷わなければ)徒歩25分程。

駅に、浜田城までの散策ルートが掲示してあったので、それに倣って裏門・中ノ門を通るコースで行ってみたら、裏門はすぐ分かったけれど、中ノ門に辿り着けず、かなり周囲をグルグルしてしまいました。
「あそこに石垣見えるけど、流石にこんな狭い道に入らないよね〜」と2度引き返したルートが正解でした。
民家の真ん前だし、私道にしか見えないので戸惑いますが、そこを通らないと私の様に長時間徘徊するはめになります。

中ノ門は、緊急時に家老が詰める施設だったそうで、石垣のみになっていますが立派です。
中ノ門から、右に行くと焔硝蔵のあった曲輪、左に行くと移築門のある曲輪に出ます。
本丸からは松原湾がよく見えます。海が目の前なので、潮の香りがし、トンビも飛んでいました。
近世城郭なので、石垣は反りが少ないです。綺麗に整備され、どの曲輪も草が刈ってあったので歩き易かったです。ただ、蚊の攻撃が激しかったです。

駅前の観光案内所でパンフレットを頂けます。

2014年03月23日 ŧ‹”ŧ‹”。
浜田城

山頂付近に護国神社があり
お社の横に移築された門が見えます。
すぐに大きな石垣群があり
近世の城郭だけあって、石垣は
荒々しい中にも造りは複雑で
なかなか見応えがあります。
また、ところどころに瓦片が
落ちてあるのを見つけられます。

城内は、整備されて歩きやすく
本丸も大きくそこからの眺望も絶景です。

しかし、一般のルートを少し外れると
藪や落石があり、滑りやすい所も
あるため注意が必要です。

紙での資料がないため
城内の案内板しか情報源がありません。
最初に、ネットで調べてから
登城されるとよりわかりやすいかと
思われます。


浜田城の周辺スポット情報

 裏門跡石垣遺構(遺構・復元物)

 中の門跡石垣遺構(遺構・復元物)

 浜田県庁の門(遺構・復元物)

 焔硝蔵(遺構・復元物)

 ニノ門 東側虎口周辺石垣(遺構・復元物)

 一ノ門 礎石・排水溝跡(遺構・復元物)

 出丸(遺構・復元物)

 本丸周辺石垣(遺構・復元物)

 井戸跡(遺構・復元物)

 夕日ノ丸(遺構・復元物)

 二ノ門跡(遺構・復元物)

 大手門跡(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 浜田城説明板(碑・説明板)

 三子山城(周辺城郭)

 社務所(御城印)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 浜田城資料館駐車場(駐車場)

 浜田城資料館(関連施設)

 登城口(その他)

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