東福寺城(とうふくじじょう)

東福寺城の基本情報

通称・別名

長谷場城

所在地

鹿児島県鹿児島市清水町田之浦(多賀山公園)

旧国名

薩摩国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

長谷場永純

築城年

天喜元年(1053)

主な改修者

主な城主

長谷場氏、島津氏

廃城年

慶長7年(1602)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

清水城(鹿児島県鹿児島市)[0.7km]
内城(鹿児島県鹿児島市)[0.9km]
鹿児島城(鹿児島県鹿児島市)[2.0km]
川上城(鹿児島県鹿児島市)[4.9km]
比志島城(鹿児島県鹿児島市)[7.8km]

東福寺城の解説文

東福寺城(とうふくじじょう)は、鹿児島市清水町にあった山城。

沿革
築城
天喜元年(1053年)、藤原純友の4代後の末裔を自称する長谷場永純が薩摩国に落ち延び築城したとされる。薩摩国、大隅国、日向国では初めての城とされている。

その後の推移の詳細は不明であるが、鎌倉時代には国人の一人である矢上氏の居城となっていた。

南北朝の動乱
南北朝時代の動乱は、辺境である薩摩国も巻き込み、薩摩国守護であった島津氏は北朝側、矢上氏は南朝側に立っていた。島津氏は当初薩摩国国府に近い出水を拠点としていたが、やがて薩摩国、大隅国双方ににらみの利く鹿児島に拠点を移そうとした。そこで問題となったのが、南朝側の矢上氏が鹿児島の重要地点・東福寺城に陣取っていたことであった。当時矢上氏は一族の中村高純に東福寺城を守らせていた。

暦応3年(1340年)島津貞久は弟の佐多忠光に東福寺城を攻めさせる。南朝側に立っていた肝付兼重は救援のため高山城から駆けつけ、島津勢を撃退した。

暦応4年(1341年)、島津貞久は再び東福寺城を攻略する。双方に多数の死者が出たと言われるこの合戦で遂に東福寺城は落城し、これ以後島津氏の拠点となった。

室町時代
東福寺城自体は山城のため、島津氏は平地に清水城を築いて居館とし、東福寺城はいざというときのための「後詰めの城」となった。その後、島津貴久は居館を内城に移したが、東福寺城の役割に代わりはなかった。

天正7年(1579年)に当時の島津氏当主であった島津義久は近江国から多賀大社を城内に勧請して多賀神社を作った。この時からこの地は「多賀山」と言われるようになる。

東福寺城の終焉...

東福寺城の口コミ情報

大塩東郷平八郎隼人佑鼎衛門様[2017年05月20日]
目の前に石橋公園、左にいけば仙巌園等がある磯があるので渋滞が凄いのに加えて道が狭いので初めて来られる方は少し大変かもしれません。駐車場もありトイレもあります。東郷平八郎の銅像があったり壕が綺麗に残されているのは良いと思います。
ただ私が行った時は石碑がなぎ倒されてたり石像が首から上だけもげた状態のものがいくつかあった為とても不気味で怖かったです。そして悲しい事にここは市内有数の捨て猫が多い場所でもあるのであちこちに猫ちゃんがいます。

あとここまで来たなら磯まで足を伸ばして両棒餅を是非ご賞味下さい。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore