広田城(ひろたじょう)

広田城の基本情報

通称・別名

牛ノ城、牛盗城

所在地

長崎県佐世保市広田町

旧国名

肥前国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

松浦鎮信

築城年

天正年間(1573〜1592)

主な改修者

主な城主

佐々可雲(松浦氏家臣)

廃城年

遺構

曲輪、帯曲輪、堀切、横堀(空堀)、土塁、櫓台、石塁、竪堀

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

小峰城(長崎県東彼杵郡)[6.9km]
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佐世保城(長崎県佐世保市)[10.3km]
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湯野田城(佐賀県嬉野市)[16.3km]

広田城の口コミ情報

2025年10月06日 順☆散歩征夷大将軍443+52
広田城



今回とてもラッキーなことに、地元の戦国史を調べていてお城サイトの運営もしている、という方に広田城を案内していただくことができました。本当は自分なんかが口コミを書くよりその方のサイトを見てもらうほうが良いのですが、広く知ってもらうという意味でこちらでも超簡単に紹介させていだきますと、ここは実際に戦いの舞台となったお城でして…

戦国の終わりごろに松浦氏、といっても宗家ではなく平戸松浦氏が南の最前線として、井出平城と、ここ広田城を築きました。(今回は時間がなく訪問はできませんでしたが、井出平城は三河内駅から徒歩15分ほど、薬王寺のすぐ横にあります。整備されていて散策しやすいようです。)

しかし1586年、大村氏・有馬氏らの連合軍が真夜中に急襲してきたことで井出平城は落城。翌日には広田城も攻められますが、城主の佐々可雲以下350名は平戸から援軍が来るまで持ちこたえ、逆に松浦軍が連合軍を打ち破ったとか。

さて。

登城経路は3つあるんですけど、自分もリア攻めマップに登録されているところから攻めました。国土地理院の地図に道が載っているのでここが一番わかりやすいと思います。城内の様子については既に多くの映え写真が投稿されているので自分は補足だけ…

写真①…主郭とその周辺の横堀
写真の左方向が大手道があったところで、かつては枡形っぽいものがあったらしいのですが残念ながら現在は消滅してしまっているそうです。

写真②…土橋
片側が明確な堀になっていない(多少窪んではいる)のですが、一応「土橋」と説明されました。ひょっとしたら当時は窪んでいる部分がもっと深く掘られていたかもとのこと。

写真③…切岸と帯郭
帯郭は数段あります。主郭はもちろん、帯郭もとても広く(というか長く)、千人以上でも余裕で立てこもれそう。逆に350名で守備するには広すぎる気もします。

写真④…土塁&石
城内のあちこちに良好に土塁が残っています。その上には石がかたまって存在しているところが何ヶ所かあり(写真やや右の土塁上にも写っています)、石積みの痕跡かもしれないが、投石用の石ではないかとも言われています。

写真⑤…主郭奥の郭の土塁
一騎駆けみたいになっています。地元の方は武者走りと呼んでいるそうです。写ってませんがこの手前は岩盤切岸みたいな感じになっていて萌えることができます。

写真⑥…大堀切
最大のみどころ(個人の感想)です。堀切手前(大手側)は土塁で目隠しされていて、逆に奥(搦手側)はさらに堀切が連続しています。

写真⑦…謎の石
主郭入口付近の石積みが目立ちますが、それ以外にも斜面の薮の中を探すと謎の石があります。ただ、これは遺構であるかは現状不明とのこと。

写真⑧…竪堀
南側斜面に10本ほど竪堀があります。佐世保では竪堀はかなり珍しいそうです。多少浅くなっていて写真だと分かりにくいかな…でも実際に見るとハッキリわかりますし、赤色立体地図でも確認できます。畝状竪堀とのことですが、竪堀どうしは少し離れています。

広田城は遺構が大変よく残っているのに、登城口から1分でリア可能というお手軽さがあり、初心者でも安心です(たぶん)。地形的にも面白い場所にあるのでぜひ地形図もあわせて確認してみてください。ちなみに西側はかなり近くまで海だったそうで、大軍に攻められても落城しなかった理由の一端が垣間見えると思います。ちなみに、まだまだ調査が完全ではなく不明な部分もたくさんある(例えば「櫓台」とされている場所も、普通に考えてそうだろうというだけで根拠はないとのこと)そうなので、いろいろ勝手に想像して楽しむのもよいかと思います。

2024年12月19日 rm625
広田城



墓場の奥から入るも荒れていた。宅地上を通る法面上から入場が良さそう。なかなか立派な土塁、空堀あり

2023年11月04日 カズ
広田城



早岐駅から徒歩で向かいました。
エレナのある方の改札を出て、アプリを見つつ城跡の方へ。
川の手前で左折し、セブンイレブン前の橋を渡りしばらく道なりに行くと「広田城跡入り口」を示す石柱がありますが、城跡入口はまだ先になります。
本当の登城口に曲がる角には何も表示がないので、アプリを頼りに左折し、緩やかな坂を少し上ると添付した写真の場所になります。
車の方は直進、徒歩の方は左側の手すりの付いた道を歩き、民家の庭先を上ればそのままコンクリートで舗装された道が主郭直下まで続いています。
私は、先ほどの道を直進し、城山を取り巻くように遠回りしてしまい、主郭の反対となる丘陵の先端部あたりから何とか上れる道を見つけ、城跡に入りました。
私が上ったのは、コンクリートの階段でしたので、これも目印かも。
付近に駐車場はありませんが、車道は広く、駐車禁止の標識は無かったように思いました。(あくまでも自己責任で)
城跡内には下藪はありませんでしたが、蜘蛛の巣がとても多いので、棒切かトレッキングポールがあれば便利かも。
見どころは主郭付近に点在する石積みのようなものと、主郭先端部の空堀でしょうか。
所要時間は駅までの徒歩を含み約90分でした。

2021年03月06日 しんこう
龍岩城[広田城  周辺城郭]



【指定史跡】なし
【遺構】曲輪、石積、土塁、切岸、狼煙台
【歴史】針尾島一体を治めていた指方氏により築城されたものと考えられているようです。
龍岩城北側の金山にある指方城は「大村家覚書」などで知られていたものの龍岩城については文献など記録に無いようです。
【感想】「日本城郭大系」には記載がなく、「図説 中世城郭事典 第三巻」でその存在を知りました。
中世城郭事典によると指方城、上村城などと併せて指方城郭群として説明されています。
ただ、指方城はともかく上村城は谷を挟んで近接していることから常に連携した同じ城として考えてもよさそうです。
遺構は北東に広がる主郭と南西側には石積を伴う物見のような高まりと狼煙台とされている窪みがあります。
石積が広範囲に残されていて見どころの一つです。
(ただ、一部素人目には段々畑のような石積も見られます)
尚、ハウステンボスから最も近くにあるお城なので、併せて行かれるとよいかもです(汗)
【案内】城の北側の農道にあるカーブミラー辺りから尾根伝いに登ることができます。
【写真】
①②主郭から南西に下った石積遺構部
③北西あたりから撮影
④主郭北西の石積
⑤主郭南東の土塁
⑥主郭から北西方面の眺め
⑦⑧主郭から南西に下った石積遺構部

広田城の周辺スポット情報

 龍岩城(周辺城郭)

 登城口(その他)

 登山口(その他)

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