佐世保城(させぼじょう)

佐世保城の基本情報

通称・別名

所在地

長崎県佐世保市城山町

旧国名

肥前国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

佐世保(松浦)氏

築城年

永徳年間(1381〜1384)

主な改修者

主な城主

佐世保氏

廃城年

遺構

曲輪、石塁、堀切

指定文化財

再建造物

周辺の城

大智庵城(長崎県佐世保市)[2.6km]
武辺城(長崎県佐世保市)[4.0km]
世知原氏館(長崎県佐世保市)[8.7km]
広田城(長崎県佐世保市)[10.3km]
沖田城(長崎県佐世保市)[10.9km]
直谷城(長崎県佐世保市)[11.7km]
針尾城(長崎県佐世保市)[13.0km]
唐船城(佐賀県西松浦郡)[13.2km]
深江氏館(長崎県佐世保市)[16.2km]
小峰城(長崎県東彼杵郡)[17.1km]

佐世保城の口コミ情報

2024年03月02日 龍馬太閤【備中の麒麟】
鼻繰城[佐世保城  周辺城郭]



長崎県の佐世保市にある【鼻繰城】♪住宅地の中に存在する中世の山城となります♪
現在は保立公園となっています♪

眼下の佐世保川を挟んだ対岸に、佐世保城がよ〜く見えます♪佐世保城と共に佐世保の港を押さえたんでしょうね♪位置関係的にも佐世保城の支城群なのであります♪
この鼻繰城は佐世保城と共に戦国時代、遠藤但馬守が城主を担いました♪佐世保を領した遠藤但馬守であります♪

遠藤但馬守は平戸の大川原の村の出身となります♪遠藤但馬守の祖父である、遠藤弥六左衛門は延徳3年(1491年)箕坪合戦(平戸松浦正VS田平氏と有馬氏連合軍)に平戸方として参加しています♪松浦宗家と平戸松浦氏の間に挟まれていくのが、遠藤一族であります☆遠藤但馬守の時代になると、佐世保城や鼻繰城を居城として佐世保一帯を治めるまでに成長しました♪

松浦氏は薩摩島津氏同様に一族内でのイザコザが幾つかあって、松浦宗家である相神浦松浦氏と分家の平戸松浦氏は、15世紀後半から北松浦地域における覇権をめぐって激しく争っています☆この宗家と平戸松浦氏との間に続く交戦ですが、飯盛城の攻防戦の際、宗家松浦氏と平戸松浦氏との仲介役として登場するのが遠藤但馬守です♪その後、平戸からの養子・九郎親を宗家の飯盛城へ迎えるという条件のもと、両家の和睦が成立しています♪
こうして平戸松浦氏は、相神浦松浦氏を事実上支配下に置きました☆さらに当時佐世保に根強い勢力をもっていた遠藤但馬守を、佐嘉の龍造寺氏と内通したとして、ことごとく一族を攻め滅ぼしました…。。

この事件は平戸からの養子である九郎親が、遠藤但馬守の娘欲しさに内通の話をでっちあげ、遠藤但馬守をだまし討ちにしたとも云われています…。。元亀3年(1572年)の出来事です☆
因みにこの時に遠藤但馬守は奮戦していて、飯盛川を渡っている際に4人に襲われます(古川治部左衛門、山本相模、北川龍也、山田四郎右衛門)が、うち1人である山田四郎右衛門を討ち取っています☆しかし、往時、佐世保に根強い勢力をもっていた遠藤但馬守は、この山本相模、北川龍也によって討ち取られたとされています☆

鼻繰城は南北に連なる郭から構成されていたのかな〜?地形地図では、明らかに郭と思われる削平地があります♪
公園部分は、現在は分かりませんが、中々広めの削平地があったのでしょう♪

さらにこの鼻繰城は明治時代には、陸軍の演習場としても利用されています♪
保立公園の下の清水中学校は、かつて陸軍の佐世保重砲兵連隊がありました♪
時代感は違えど、守る為に使用されていた事実は明らかですね♪

2024年02月29日 龍馬太閤【備中の麒麟】
佐世保城



長崎県の佐世保市にある【佐世保城】♪
歴史詳細がない為、記載します♪

住宅地の中に存在する中世の山城となります♪烏帽子岳(標高568m)の山裾の先端が、佐世保港の奥に迫る所に派生した山上を、地元では城山と呼んでいます♪
この城山が『佐世保城』となります♪
平戸方面から大村方面に通じる主要道を抑える場所でもあります♪
城山の特に西側に関しては、眼下に折橋川が流れ、その侵蝕により出来た絶壁となっており、天然の要害に相応しい絶好の立地にありました♪

いつ築城したか?誰が築城したか?は不明な城郭ではありますが、永徳4年(1384年)『山代文書』には、佐世保石見守元・佐世保左京亮の名前があり、佐世保の地には古くから松浦党の一族がいた事が分かります♪
更に『松浦家世伝』には『宗金、堡を佐世保、於玖、小田に築く』とありますが、宗金(松浦親?)が堡(=砦)を佐世保、於玖、小田に築くという訳ですが、松浦親が佐世保に…時代感的にハテナ?です♪

『諌 字を源三郎 丹後守源三郎と称す 佐世保を領す 依つて 家号となす』とあります♪諌は→松浦丹後源三郎諌といって、大智庵城主の松浦丹後守政(相神浦松浦氏)の弟です♪松浦党割拠時代の鎌倉・室町時代には、相神浦松浦氏は佐世保を領しました♪

松浦丹後源三郎諌は佐世保を領した事で佐世保諌を名乗り、佐世保城を築城したとも伝えられていて、いずれも築城に対してはやはり不明です⭐︎
戦国時代には、大智庵城主の松浦丹後守政の支城群の1城として機能した事でしょう♪
南方で肥前平戸北上を狙う、有馬氏、大村氏に備えた城郭だった事は間違い無いと思います♪
松浦丹後源三郎諌の死後、遠藤但馬守が城主になっていますが、遠藤但馬守は飯盛城主・九郎親の策略によって、佐嘉の龍造寺氏に内通したとして、だまし討ちにされてしまいます☆その後は遠藤但馬守の娘婿である、赤崎伊予守が城主になったと云われています♪

見所は、岩盤切通し兼堀切、石積み、動線スロープ状の土塁などなど♪その後、畑などで変貌はしていそうですが、かつての城郭の大要は伺い知る事ができます♪
住宅地を進んでいくと…岩盤切通し兼堀切♪
ワクワクしますね♪
気持ち入り口を整備してくれたら、凄く行きやすい城郭になる為、今後の整備を期待したいです♪

2019年06月05日 笑門来猫
佐世保城



城の入口。奥に行くのではなく、左右の壁を上によじ登ると曲輪の方へ進めます。左側が主郭で、右側は副郭と思われます。ロープありますが、結構危ないので自己責任で。

2019年06月05日 笑門来猫
佐世保城



主郭と反対側にも曲輪があり、さらに細い尾根道が続いています。この城、周囲が絶壁なので、色々ドキドキします。

佐世保城の周辺スポット情報

 鼻繰城(周辺城郭)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore