塩越城(しおこしじょう)
塩越城の基本情報
通称・別名
- 八十島城
所在地
- 秋田県にかほ市象潟町字二の丸他
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 池田茂政
築城年
- 正平20年〔南朝〕/貞治4年〔北朝〕(1365)
主な改修者
- -
主な城主
- 池田氏、仁賀保氏
廃城年
- 寛永8年(1631)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
山根館(秋田県にかほ市)[9.6km]
北目館(山形県飽海郡)[19.3km]
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塩越城の口コミ情報
2024年04月16日 noble讃岐守弥勒菩薩
塩越城
ちょっと分かりづらい所ですが、案内板がしっかり設置されています。土壇?もしくは物見台?(竹藪で、上には上がれません)の裾に腰巻き型の石塁を見ることができます。住宅街なので、ご迷惑をかけないように行きましょう。
2022年09月04日 沼田乃豆腐屋
沖の口番所・台場[塩越城 周辺城郭]
寛永17年(1640)、矢島藩との領地交換により象潟を領地とした本荘六郷藩は塩越浜谷地に沖の口番所を置いて塩越湊の管理を行っていた。この番所は津波によって破壊され、天保4年(1833)青塚山山麓に新たな番所が置かれた。
幕末、異国船の日本近海への出没が頻発すると、文政8年(1825)、幕府は異国船打払令を発効した。本荘藩領でも「嘉永元年4月20日、去る15日飛嶋沖唐船相見え候に付、庄内様、吹浦、酒田、大山、鼠ヶ関御堅め人数差出候に付、此の方へも御知らせこれあり候に付、塩越、金浦両所へ大筒御遣なされ候」等の異国船への動きがあり、元治元年本荘六郷藩は塩越村の海岸警備の為、青塚山番所に大砲掛国松藤弥、鉄砲掛国松嘉太郎らを配した。明治2年廃止。
小高い丘になっており、土塁で丘上の周囲を囲んでいる。往時は大砲が据え付けられていたようだが、今は石垣が残る程度である。
塩越城の周辺スポット情報
沖の口番所・台場(周辺城郭)