山根館(やまねだて)
山根館の基本情報
通称・別名
- 山根城、院内館、仁賀保館
所在地
- 秋田県にかほ市小国字古館1-2他
旧国名
- 羽後国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 仁賀保氏
築城年
- 応安年間(1368〜1375)
主な改修者
- 大井氏
主な城主
- 仁賀保氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財
- 県史跡(山根館跡)
再建造物
- 礎石、石畳、碑、説明板
周辺の城
-
塩越城(秋田県にかほ市)[9.5km]
滝沢城(秋田県由利本荘市)[11.8km]
八森城(秋田県由利本荘市)[13.4km]
本荘城(秋田県由利本荘市)[14.5km]
玉米館(秋田県由利本荘市)[25.7km]
北目館(山形県飽海郡)[25.9km]
亀田城(秋田県由利本荘市)[27.5km]
赤館(秋田県由利本荘市)[30.9km]
観音寺城(山形県酒田市)[32.5km]
新田目城(山形県酒田市)[34.0km]
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山根館の解説文
萩原さちこさんオススメの見どころ!
仁賀保氏が居城とした山城です。仁賀保氏は信濃源氏小笠原氏の流れを汲む大井氏の裔とされ、応仁元年(1467)に仁賀保氏の祖である大井伯耆守友挙が信濃国から入部し、翌応仁2年(1468)に山根館を改修して居城したとされます。それ以降、仁賀保挙誠が慶長7年(1602)に常陸国に国替を命じられるまで、7代(友挙・挙政・挙久・挙長・重挙・挙晴・挙誠)にわたり135年間居城しました。仁賀保氏は由利十二頭(由利地方で勢力を持っていた12の豪族)のひとりとされ、豊臣秀吉からも所領安堵を受けましたが、関ヶ原合戦の恩賞により由利一円が最上氏の所領となったため、5,000石で常陸に転封になったようです。
こんな立派な館があったとは驚きました。しかも、発掘調査によって主郭の構造が解明され、遺物がザクザク発見されて、歩きやすく整備され、立体模型も設置されています。
登城ルートは3つ。ひとつは大手道で、城の西麓にある陽山寺を南方向に進み林道へと進むルートです。700メートルほどで、主郭までは徒歩30分ほど。広い削平地がいくつも残っています。2つめは、塩の道と呼ばれる北西側からのルートです。こちらは835メートルあり、徒歩40分ほどかかります。「そんなに登りたくない」という人のためにあるのが、主郭脇の駐車場まで車で一気に登れる3つめのルートです。
主郭脇の駐車場からなら、3分で主郭に到着です。足を踏み入れてすぐに空堀らしきものがあり、塩の道との合流点に着けば左手に立派な土塁が登場します。こんなに美しいラインの土塁が見られるとは、来た甲斐があるというものです。この土塁上が主郭で、調査に基づき礎石がたくさん復元設計されています。城の主要部だけで20を超える郭、主郭跡からは200を超える礎石が確認されているとのこと。主郭の東側には幅6メートル、高さ1.7メートルの土塁があり、崖面に近いところにある幅2.7メートルの石積みが土塁の基盤となっていることが判明しています。主郭東側にゴロゴロ転がる巨石は、庭石です。
大手道に沿うように長大な空堀が横堀のように続いています。現在は木々が生い茂っていますが、ところどころの隙間から、なかなか大規模な空堀が確認できます。
山根館の口コミ情報
2019年08月08日 弾正忠Snow
山根館
大手道、塩の道を行かれる方は長袖長ズボンスニーカーあった方が良いです。
多少整備はされていますが、下草も多くて多少歩きにくいです。
近くの駐車場からの道はきちんと整備されていました。
山根館の周辺観光情報

仁賀保高原
仁賀保高原は鳥海山の北麓に拡がる標高約500メートルの丘陵地帯。広々とした牧草地に点在する湖沼や湿原が見どころ。さらに高原からは日本海、男鹿半島、鳥海山など360度のパノラマが楽しめる。高原には牧場やサイクリングロード、キャンプ場などもあり様々な楽しみ方が可能となっている。
お問い合わせ:にかほ市観光協会(0184-43-6608)

道の駅「象潟」ねむの丘
観光情報センター、農林水産物直売所など多彩な機能を有した道の駅。併設されている温泉、レストランはともに日本海を一望できる施設となっている。
お問い合わせ:道の駅「象潟」ねむの丘(0184-32-5588)

白瀬南極探検隊記念館
南極の地にはじめて日本の旗を立てた地元出身の白瀬中尉を記念して建てられた。白瀬中尉の遺品や南極探検隊の資料などを展示している。毎週月曜日休館。
お問い合わせ:白瀬南極探検隊記念館(0184-38-3765)
情報提供:秋田県観光連盟