沖の口番所・台場
沖の口番所・台場([塩越城 周辺城郭])
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沖の口番所・台場の口コミ情報
2022年09月04日 【配龍】沼田乃豆腐屋
寛永17年(1640)、矢島藩との領地交換により象潟を領地とした本荘六郷藩は塩越浜谷地に沖の口番所を置いて塩越湊の管理を行っていた。この番所は津波によって破壊され、天保4年(1833)青塚山山麓に新たな番所が置かれた。
幕末、異国船の日本近海への出没が頻発すると、文政8年(1825)、幕府は異国船打払令を発効した。本荘藩領でも「嘉永元年4月20日、去る15日飛嶋沖唐船相見え候に付、庄内様、吹浦、酒田、大山、鼠ヶ関御堅め人数差出候に付、此の方へも御知らせこれあり候に付、塩越、金浦両所へ大筒御遣なされ候」等の異国船への動きがあり、元治元年本荘六郷藩は塩越村の海岸警備の為、青塚山番所に大砲掛国松藤弥、鉄砲掛国松嘉太郎らを配した。明治2年廃止。
小高い丘になっており、土塁で丘上の周囲を囲んでいる。往時は大砲が据え付けられていたようだが、今は石垣が残る程度である。