種市城(たねいちじょう)
種市城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 岩手県九戸郡洋野町種市(地図は平城跡を示す)
旧国名
- 陸中国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 種市中務
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 種市氏
廃城年
- 天正20年(1592)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
-
大野館(岩手県九戸郡)[13.1km]
島守館(青森県八戸市)[13.4km]
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尻内城(青森県八戸市)[22.6km]
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種市城の解説文
[引用元:Wikipedia「種市城」の項目]
種市城(たねいちじょう)は、岩手県九戸郡洋野町(旧・種市町)にあった日本の城。戦国時代の種市氏の居城。同町字城内(じょうない)のほぼ中心部に位置し、平時の居館とみられる平城(へいじょう)と[1]、そこから約1キロメートル南西にあり戦時に使用したとみられる山城(やましろ)の2城が存在した[2][3]。
概要
平城
城内地区は当時の種市の中心集落で、川尻川に北面した高台にあり、旧字名は「館」。平城跡はそのまま集落となっている。館の東側から集落内に通じる坂道は、館坂と呼ばれ八戸へ通じる街道の起点であった。現在は堀跡が道路となっているがほとんど市街地化し、地表上の遺構は残っていない[4]。
山城
山城跡は、館から南西1キロメートル、比高50メートルの丘陵上に位置し、平場(曲輪)と空堀が残る[5]。
歴史
種市氏は一戸南部氏の分流とも、工藤氏の末裔ともいわれ、九戸政実の乱に際し、種市伝左衛門が九戸籠城に加わったが、当主の種市中務(なかつかさ、諱は不明[6])は南部氏側に属し、城攻めに参陣していた。
天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「糠部郡之内 種市 山城破 久慈孫三郎持分」とあり、廃城となった。
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」
- 【書籍】「角川日本地名大辞典 3 岩手県」
- 【書籍】「岩手県中世城館跡分布調査報告書」
- 【書籍】「日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名」
- 【書籍】「洋野町内試掘調査報告書」
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種市城の口コミ情報
2023年05月14日 ワヒカル
種市城
ここは、中々難しいです。県道から行くと神社が有りますが、その隣です。