新田城(にいだじょう)

新田城の基本情報

通称・別名

新井田城

所在地

青森県八戸市新井田

旧国名

陸奥国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

新田氏

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

新田氏

廃城年

寛永4年(1627)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

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新田城の解説文

井田城(にいだじょう)は、青森県八戸市新井田にあった城郭址。別名 新田城(にいだじょう)。

概要
新井田川と松館川の合流点付近の小高い丘陵に所在した。

後年、八戸藩主南部信興によって建てられた別館は本丸と二の丸に当たる外館(とだて)からなり、現、新井田小学校を含む一帯である。

沿革
中世~近世の平城。城主は新田(にいだ)氏であり、根城南部氏五代政長の次男彦次郎政持を祖とし、同じく政長の三男であった弟信助に中館(のちの八戸城)をそれぞれあたえ、これが新田氏・中館氏のおこりといわれている。 根城中館とともに、「三館一城」とも称されたともいう。

築城時期は不明であるが、「浅利六郎四郎清連注進状」の建武3年(1336年)に新田彦次郎政持の名があり、南北朝初期に築城され当地に居住していたと思われる。

また、一説には、当初、新田氏は新田城の北方約500mの古館に入り、のちに当城に移ったといわれている。

天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「新井田 平城 破 南部 彦七郎 持分」とある。 寛永4年(1627年)に南部利直の要請で、根城南部氏は遠野に国替えとなるが、一族の新田氏もこれに従って遠野に移転し廃城となった。

その後、八戸藩主南部信興が、新田城本丸に別館を営み居住したという。

新田城の口コミ情報

左衛門尉三八五守様[2014年08月31日]
新田城址の近くには、新田氏と関係が深いとされる対泉院(たいせんいん)という名刹があり、境内の池では、季節になると古代蓮を見ることが出来ます。
その山門横には対泉院戒檀石があり、この地を襲った天明の大飢饉の際の惨状が記されています。
当時の大飢饉の模様は、寛政の三奇人のひとり、高山彦九郎がこの地を旅した際の「北行日記」にも記されているそうです。

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