剣吉城(けんよしじょう)

剣吉城の基本情報

通称・別名

剣吉館、大館

所在地

青森県三戸郡南部町剣吉字大館

旧国名

陸奥国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

北氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

北氏

廃城年

遺構

曲輪

指定文化財

再建造物

碑、説明板(剣吉城址公園)

周辺の城

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剣吉城の解説文

剣吉城(けんよしじょう)は青森県三戸郡南部町剣吉字大館にあった日本の城。

戦国時代~安土桃山時代にかけての南部氏の重臣 北氏の居城。永正年間(1504~20)に北致愛によって築城されたと伝わる。致愛の子北信愛は24代南部晴政、25代晴継、26代信直、27代利直の4代に渡って仕え、近世南部藩の基礎を築いた。

概要
馬淵川左岸の剣吉山から東方へと突き出た舌状台地の先端部に立地している。北側には剣吉川が流れ、断崖となっている。川面からの比高は10~30mを数える。南側も比較的断崖となっており、南から東にかけては奥州街道の脇街道である鹿角街道(八戸街道)が通っている。

遺構
城館は大館と小館の2つの曲輪から構成されているが、大館は剣吉小学校の校舎・校庭建設により戦前から大きく削平され、また小館も明治期の東北本線開通、昭和に入ってからの線路拡幅により大きく削平されている。現状で伺うことができる遺構は舌状台地を南北に区切る形の堀跡のみである。城跡は現在、剣吉小学校となっており、現地には説明板が立っている。

情報提供:南部町教育委員会社会教育課

剣吉城の口コミ情報

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