聖寿寺館(しょうじゅじだて)

聖寿寺館の基本情報

通称・別名

本三戸城

所在地

青森県三戸郡南部町小向字正寿寺

旧国名

陸奥国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

南部氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

南部氏

廃城年

天文8年(1539)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(聖寿寺館跡)

再建造物

周辺の城

三戸城(青森県三戸郡)[3.4km]
目時館(青森県三戸郡)[7.0km]
剣吉城(青森県三戸郡)[7.4km]
田子館(青森県三戸郡)[13.1km]
堀野館(岩手県二戸市)[13.9km]

聖寿寺館の解説文

聖寿寺館(しょうじゅじだて)は日本の城郭の一つ。別称、本三戸城(ほんさんのへじょう)。

概要
聖寿寺館は中世の平城で、青森県三戸郡南部町小向字正寿寺に所在した。三戸城の北4km、平良ヶ崎城の西方700m地点の聖寿寺集落南西丘陵に位置する。 館跡の東・北側は幅20mの空堀で背後丘陵から切断され、西・南側は比高差20m以上の急壁で囲まれている。

歴史・沿革
南部氏11代信長から24代晴政までのおよそ200年間居城としたが、天文8年(1539年)6月、家臣赤沼備中の放火により炎上消失。「祐清私記」によると、南部晴政が家臣赤沼備中の妻女を常駐に引き入れたため、備中は晴政を怨んでおり、知行についても家老奥瀬安芸をも恨んでいた等で放火し、奥瀬安芸を斬って逃げたが、下斗米将家は、これを追いかけ、諏訪の平にて赤沼備中を討ち留めたとある。 その後、三戸城築城とともに「本三戸城」と呼ばれようになった。

平成16年(2004年)9月30日に「聖寿寺館跡」として、「聖寿寺館跡本体」のほかに、南部氏菩提寺のある「三光寺地区」、氏神である「本三戸八幡宮地区」の3地区が、国指定の史跡として指定を受けた。

発掘調査の結果、聖寿寺館跡本体は開発による破壊が殆どなく、中世の状態が良好に保存されており、検出された遺構は掘立柱建物跡が4棟、竪穴建物跡が38棟、堀跡等があった

聖寿寺館の口コミ情報

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