田子館(たっこたて)
田子館の基本情報
通称・別名
- [田子前館(前館、牛尾館)、佐々木館]
所在地
- 青森県三戸郡田子町田子字風張
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 佐々木氏?
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々木氏、南部氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- 町史跡(田子館・田子前館)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
目時館(青森県三戸郡)[10.6km]
三戸城(青森県三戸郡)[11.3km]
聖寿寺館(青森県三戸郡)[13.1km]
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田子館の解説文
[引用元:Wikipedia「田子館」の項目]
田子館(たっこだて)は、青森県三戸郡田子町田子字風張・相米字相米向にあった日本の城。南部氏の田子前館(たっこまえたて、別名・牛尾館)と佐々木(笹木)氏の田子館(たっこたて、別名・佐々木館)の2館の総称。2館は別々に町の史跡に指定されているが、埋蔵文化財包蔵地としては「田子館(たっこだて)」として同一遺跡となっている。
概要
「田子」は戦国時代にみえる地名で「達戸」とも書いた。田子館は、熊原川の支流・相米川の右岸に面した丘陵の、標高120メートルほどの平坦部に立地する東西200メートル×南北120メートル規模の平山城(居館)である。城跡は、田子前館(牛尾館)は田子町立田子中学校校庭、田子館(佐々木館)は畑地になっている。
田子前館(牛尾館)
田子前館は、明応年間(1492年-1501年)に第20代当主・南部信時が引退を機に、同地にあった佐々木氏(笹木氏)の居館を接収して南部氏のものとなったと伝えられる。以後およそ100年間、光康・高信・信直まで当主が代々利用した。慶長3年(1598年)の『館持御支配帳』には「田子前館 三百石 南部信直」とある。
永禄年間(1558年 - 1570年)の南部氏内訌時の館主は信直であり、第27代当主となる嫡男の南部利直も同所で生まれた。天正10年(1582年)に信直は三戸南部氏26代を継承して三戸城に移るが、その後も別館として使用された。
1984年(昭和59年)3月6日に田子町指定史跡。
田子館(佐々木館)
『慶長御支配帳』には「田子館 二百石 笹木惣左衛門」とある。佐々木(笹木)氏の館は当初、現在の田子中学校の地点にあったが、同地を南部信時に譲り(田子前館)、西側の隣接地に新たに館を建てたと伝わる。
1984年(昭和59年)3月6日に田子町指定史跡。
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」
- 【書籍】「日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名」
- 【書籍】「角川日本地名大辞典 2 青森県」
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田子館の口コミ情報
2024年08月06日 HAL2000壱岐守
田子館
青森県の田子町の中心部にあるお城跡。今回は田子町ガーリックセンターに訪問するついでにリア攻め。裏手の坂道を登ったところ、城の跡地には現在、田子中学校があります。山間の小さな町ですが、その街を見下ろす小さな台地の上にあったようです。かつては鹿角街道中の村だったそうです。
2024年05月07日 だって右衛門督まさむね
田子館
中学校の入口に表示と戦いの歴史についての説明板がありました。地方においても、中央と同じように領地争いの戦が繰り返されていたことに思いを巡らせつつ、音楽室から聞こえてくる吹奏楽部の演奏を聞きながらしばし時を過ごしました。
2022年11月08日 気分爽快豊後守
日ノ沢館[田子館 遺構・復元物]
道路脇の案内板横の未舗装路から、一旦台地を降りた先の台地先端が遺構。台地から切り離された堀が見所だが、館の跡地は畑となっている。