忍城攻略失敗の原因とは?(2015/06/30)
忍城模擬御三階櫓(埼玉県行田市)
小田原征伐の一環で忍城攻めを任された石田三成。結果的に小田原開城までに城を落とすことができなかったが、その最大の要因とは?
[投票実施期間]2015年06月30日~2015年07月15日
1.忍城が北条・上杉も攻めあぐねた要害であったため。 |
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2.忍城城代である成田長親の采配が巧みであったため。 |
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3.攻城側総大将である石田三成の采配が拙かったため。 |
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4.一説に秀吉の指示ともいう水攻めにこだわったため。 |
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5.攻城側が大軍とはいえ所詮は烏合の衆だったため。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
甑岩式部卿正頼(6を選択)
小田原城が落ちればいいと思って、真剣に攻めてなかったのではないでしょうか。
トムからボタモチ(3を選択)
局地戦といっていい、城攻めにおいて士気が高い相手に真正面攻撃をした石田三成の采配ミスです
大宰少弐ためぞう(2を選択)
いかに寄せ手の采配が拙かろうと、圧倒的な数で攻めているのだから、守る側の采配の素晴らしさを賞賛すべきでしょう!
sugar3776根室守(1を選択)
長谷堂城の戦いを思い起こします。
三日左馬助落人(4を選択)
ある程度研究も進み、当時の史料が精査されている昨今では、4を「一説に」扱いするのは苦しいように見えます。
かずのみや(5を選択)
のぼうの城を読むと、成田長親の智謀に1票入れたくなりますが、当時の地形を見ると、要害の要因が一番強いと思います。
島内匠頭左近清興(4を選択)
水攻めにこだわり過ぎて、本来の攻城方法が
思い付かなかった為。
☆藤織部正康晴之丞(6を選択)
3に近いが、武人より文人であると言われた三成の采配を読み解いた長親もまた頭が良かった、と
お猿さんに関しては、まぁあまり関係ないかも?
酒巻右衛門督靱負(2を選択)
坂東の心意気
陸戦型主水佑事務(3を選択)
石田三成の言うことはきかないだろうなぁ…多分
Hanbey美濃守(4を選択)
水攻めだけに策に溺れた?
背番号21(6を選択)
わかりません。
ソバッソ80.0(4を選択)
手柄立てたい各地の大名達を従えての水攻め‥消耗戦で大名達商売あがったりやな、と。かと思えば堤決壊で、結局戦うんかーい、的な。三成さんにしては段取と予測が悪い気がする。
ごん(4を選択)
ここで城を落としていれば その後の三成の命運も多少は変っていただろうか⁉︎
野呂利左衛門督休三(4を選択)
水攻めでなければ、どれだけ短縮したかわからないが。諸将が水攻めと決まってやる気を無くしているとの三成書状がある。最近の説では小田原開城段階でも築堤工事が終わっていなかったとの説もある。
駿河守アパテ(3を選択)
一概に三成が戦争下手とも思わんのだけど、このときは失策が多かったかなと。
ヤスケン(2を選択)
のぼうの城
ウツーノ越前守白起廉頗王翦(4を選択)
元々湿地帯の忍城に秀吉がお得意な水攻め指示が全て悪い。手柄を与えたかったとは言え経験不足の戦下手?三成のみの責任では無いかと。城方に堤防を手抜き工事されて決壊→味方兵を200以上も失うのは…
小早川隆景(1を選択)
いかに采配がすごくてもあの大軍相手に持ちこたえることは出来ないと思う
いちごう(3を選択)
三成君、采配下手。うちの会社も同じ奴がいるよ。
(5を選択)
なんかそんなイメージ
甲斐姫(2を選択)
何時の世の時代も偏った考えは何かが足りぬものよ。甲斐姫
まさむね(3を選択)
4も含めて三成の責任。
所沢亭織部正龍興(6を選択)
忍城が堅城だった事、成田長親の采配が巧みだった事。三成の戦下手と人徳の無さ。全て絡んではいるが、やはり名だたる名将らを押し返した城の武将達に一票!
古楽侍従広家(6を選択)
落とす必要がない城だったから。
式部卿となりのヨーダ(3を選択)
結局そういう事 複合した理由もあろうけどやっぱり才能が足りない
なおリン(3を選択)
石田三成は合戦が下手だから
それに 豪傑な部下もいないし
兵部大輔長門喫茶(2を選択)
大将がダメだったら守りきれなかったと思う。
ラッキー後志守マロ(3を選択)
TOPの良し悪しで決まるのは、昔も今も一緒かな?!
彰之佑(2を選択)
のぼう様が頼りだわい
鬼庭左月(6を選択)
戦の勝敗は時の運だと思います
誠之亮中務少輔(1を選択)
基本はこれだと。あとは強いて言えば3かな?
静寂の葵内匠頭命(3を選択)
忍城を見ずに秀吉を見て戦をしていた水攻め。援軍に駆けつけた戦上手の真田昌幸らの意見を受け入れることができない三成の資質によるもの。
ark主膳正(4を選択)
やっぱりこれに尽きると思う。
桂飛騨守小太郎(1を選択)
やはり忍城の地形。大規模な堤を造ったはいいが、大雨で逆に被害被ってしまったという事は、天候の影響もあったのでは?
水攻めに固執していたといわれてはいるが、水攻め以外にも何かしら対策はあった筈。
左近将監摂政(1を選択)
沼城、あるいは泥田に守られた城は案外、落としづらいようで、踏ん張りがきかないと、腰が入らないのかな。結城城、備中高松城、長谷堂城などが大軍を向こうに回して善戦している例があるので、要害性が理由とみた。
フレデリカ.G(6を選択)
甲斐姫の活躍に、強者どもが奮起したため
関白ちょろ(4を選択)
更に勝ち戦が見えており士気も低かったのでしょう(無駄な戦感)
伊豆守隠岐守(6を選択)
1と4の複合したのが要因ですかね。
1番がより強い根拠ですが、堅城は誰が攻めてもなかなか落ちない。加えて水攻めという愚策が拍車をかけた。
アッツ中務卿蝦夷守(4を選択)
近年では土塁を作っている最中に小田原が落城したと言う説もあり、水攻めにこだわり過ぎたのが原因かも
iCastle周防守SE2(1を選択)
1556年に、周囲を沼地で囲まれた須々万沼城の攻略に毛利軍は苦戦した。この手の城は意外と、大軍相手でも守りやすいタイプなのではないかと思う(守備側の団結や守将の手腕も前提だが)。
御凪淡路守アキラ(4を選択)
ちょっと対応に柔軟さが欠けてたかな。
Nabeppu左馬頭(4を選択)
そもそもこの地域は、ひたすら真っ平らです。しかも湿地やら田んぼやらが多く、盆地と同じにはいかないはず。土地を見てない、又は正確に報告していないのが、秀吉の判断を鈍らせた最大の原因でしょうね。
瀧乃道大蔵卿ユズル(3を選択)
センスなかったんやで
セリ安房守(6を選択)
成田長親の人徳!のぼうさまは領民達にとても慕われていたと聞いてるので。
球磨川大宰大弐えびの(4を選択)
三成逹現場にいる武将の好きなようにやらせておけば、最適な方法で落とせていたと思います。
武州左兵衛督 憧れの天守閣(3を選択)
現地最適を三成が見極めることができなかった
かったん(6を選択)
石田三成のおごりのため
【無】万年同心武蔵守三四六(3を選択)
大軍にあぐらをかき、秀吉にゴマをするネタにするために、不必要な水攻めを行ったことだと思います。
樋口弾正大弼与六(4を選択)
もともと、湿地帯に水攻めをしても無意味だし秀吉の意向に逆らえなかったのが敗因ですね。
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