日知屋城(ひちやじょう)

日知屋城の基本情報

通称・別名

船岡城

所在地

宮崎県日向市大字日知屋字伊勢道

旧国名

日向国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

伊東氏

築城年

文明年間(1469〜1487)

主な改修者

主な城主

伊東氏、福永氏、福本新十郎・氏本駿河守(伊東氏家臣)、井尻伊賀守(島津氏家臣)

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(日知屋城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

門川城(宮崎県東臼杵郡)[6.8km]
井上城(宮崎県延岡市)[17.1km]
西階城(宮崎県延岡市)[17.8km]
延岡城(宮崎県延岡市)[18.9km]
坪谷城(宮崎県日向市)[19.2km]
松尾城(宮崎県延岡市)[19.4km]
浦城城(宮崎県延岡市)[27.4km]
川坂城(宮崎県延岡市)[29.8km]
高城(宮崎県児湯郡)[31.7km]
高鍋城(宮崎県児湯郡)[34.9km]

日知屋城の口コミ情報

2024年09月24日 織田上総介晃司
日知屋城

大御神社を目指して行くと登城口前に駐車場があります。(大御神社用の駐車場かもしれませんが…)伊勢ヶ浜海水浴場もあるので麓にはトイレもあります。

石畳が敷かれ整備されてますが、雨上がりなどは滑りやすくなってるのでご注意を…

2024年04月15日 RED副将軍
日知屋城



伊東氏四十八城のひとつで断崖の岬上に築かれた海城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代や築城者は不詳。
文明年間(1469年〜1487年)に伊東氏によって築かれたと云われますが、元は財部土持氏の属城であり、1457年の小浪川の戦いで財部土岐氏を敗った都於郡城の伊東祐堯の属城となったとされます。
1484年、伊東祐堯の嫡男である伊東祐国と弟の伊東祐邑は島津氏の飫肥城に侵攻するも伊東祐国は討死し敗北。伊東祐邑は居城である日知屋城に退去。
しかし、宗家の嫡流である伊東祐国の嫡男の伊東尹祐はまだ幼少であり、伊東祐邑は大友氏と結び島津氏に当たることで伊東氏の安泰を画策するも、家督乗っ取りを疑われて日知屋城にて暗殺されてしまいました。このことは伊東氏の弱体化を招くこととなります。
その後、日知屋城には福本新十郎、氏本駿河守などが城主となりました。
木崎原での大敗を契機に衰退していき、1577年に伊東義祐は本拠である佐土原城を捨て、豊後の大友宗麟を頼ります。
日知屋城は大友氏と島津氏の最前線となり、大友氏の家臣であり海賊衆の薬師寺兵庫守が入城しました。
1578年の耳川の戦いで島津氏に大友氏が敗れると
島津氏の所領となり、島津氏家臣の井尻伊賀守が日知屋城に入城。
1587年に豊臣秀吉が九州を平定すると松尾城の高橋元種の所領となりますが、1615年の一国一城令により廃城となりました。

見所
伊勢ヶ浜に臨む三方を断崖に囲まれた岬上に築かれています。
岩山の頂部に主郭を置き、一段下の東西に東の曲輪と西の曲輪を配します。
西側の岬の基部は堀切で防御線を張っています。主郭周辺には石垣、東の曲輪には石積みで補強された土塁でき、虎口や桝形も認められます。

行き方は、大御神社を目標に設定。駐車場から南東部が城域です。
現在は伊勢ヶ浜海浜公園の一部となり整備されています。

2023年08月03日 内記かずりヾ(・ε・。)
日知屋城



お世話になった日向の海に感謝を込めて…

夏だっ!海だっ!海城の季節がやって来たっ!てな訳で宮崎県日向市の日知屋城に行ってみたっ!

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。駐車場も付いてます。

築城年代、築城者はとりま不明、日向伊東氏(言わずと知れた鎌倉幕府御家人、藤原南家為憲流工藤氏の後裔だ。相良氏、二階堂氏等、全国各地に一族を輩出する。)第七代当主、伊東祐国の舎弟、祐邑(なんて読むのか知らん。)が城主だった事は間違い無いが、「財部、高城、日知屋、門川、新名、野別府、山陰、田代、神門」が伊東氏の支配領域となるのは、伊東氏と財部土持氏が争った長禄元年(西暦1457年)、小浪川の合戦の後とされるので祐邑の入部はそれ以降の話となる筈だ。文明十七年(西暦1485年)、新納忠続が拠る飫肥城攻めに際して祐邑は祐国に従い参陣、祐国は「都於郡、佐土原、宮崎、木脇、八代、三納、穂北、富田、財部、高城、塩見、日知屋、門川、山陰、田代、神門、入下、宇納間、水清谷、銀鏡、小河、雄八重、中ノ俣、鵜戸、曾井、加江田」の衆を率いたが討死、戦いは大いに打ち負けている。

当主祐国の死によって祐邑は豊後の大友氏に通じて伊東氏の安泰を図ろうと画策するが、一連の動きは宗家に対して不穏であり、結局刺客を送られてこの日知屋城内で謀殺される。祐邑の死は祟りを為したらしく、日向市細島の鉾島神社で今も行われている「的祈念祭」はどうやらその霊を慰め疫病を祓うためのものらしい。

お城は半ば公園化されているけど個人的には凄く楽しめた。祐邑が住していたそうなので居館城だったんだろう、信濃の貧乏な要害に慣れ切った眼には凄く新鮮に映る。立派な堀切に始まり土塁、虎口なんかも確認出来るし、郭の削平具合がしっかりしている所なんかには思わず感心してしまったりもする。が、疑問なのは城域内に相当量の土留めの石積みが見られる事…何処までが往時のものなのか判断が付かない。又、縄張図が手に入らなかったので何とも言えないけど、通称東曲輪の下段の先に土塁を伴う堀切が確認出来ないかい。藪だったんで仔細に見るのは諦めたが…

お城も素敵だが周辺は観光名所が集中する。「伊勢ヶ浜」、「鵜戸神宮(龍宮)」、「大御神社」、「亀岩」、「日本一大きいさざれ石」、柱状節理の岩肌が露出する海岸線は壮観、家族連れでも楽しめるので夏場の時期に訪ねる事を推奨する。ちなみにお城には蟹とフナムシが大量だ。

さて…この時期は虫が多くて山城好きには辛い季節…マダニ(シカダニが殆どだと思う。)は特に厄介な代物っすね。奴に噛まれると1年位は咬傷が残ったりするんでJr.アイドルのおいらは事務所からよく叱られたりするんです。マダニは噛む(刺すんじゃない。)と口下片からセメント状物質を出して連結を強固(専用器具を使うかお医者さんに除去してもらうのはこのため。素人が取ると頭部が皮下に残ってしまう。ちなみに感染症が伝播し発症するのはレアケースである。)にし、吸血期間は1週間を超える事もある。又、マダニはいきなり噛む訳じゃなくて表皮の柔らかな部分を求めて暫くの間体表を徘徊する…過去においらはシャワーを浴びていて腋の下に充血しまくった奴を2匹発見した時にはホラーでしかなかった…

山城めぐら〜としてスタートした頃、おいらは相当舐めた格好で結構な山城を登っていた。短パンにTシャツ、靴はスケートボード以外役に立たないVANS、でもねぇ…思い起こせばこの頃にマダニに噛まれた記憶が一切無い。噛まれる事が多くなったのはまともなトレッキングスタイルに身を固めるようになってからじゃないのか…つまりおいらがこの場を借りて皆様に言いたいのは、思い切って服とか脱ぎ捨ててふる◯んで藪に突入…(o゚Д゚)=◯)`3゜)∵

2022年10月17日 気分爽快豊後守
日知屋城



駐車場が混んでいたので、人気スポットかと思いましたが、隣の大御神社に行く人達で、城内は静かで、波音が心地良かったです。
石積みが随所にある城でした。

2019年09月09日 日知屋兵部大輔こだまん
龍宮[日知屋城  寺社・史跡]

奥から海の方を見ると、白竜が天に昇っているように見えます。



2019年06月01日 能登守あるて
日知屋城



伊勢ヶ浜ビーチ寄りの曲輪に張り付く腰巻き石積。三方を海に囲まれた城跡であり、全体的に雰囲気良好。

日知屋城の周辺スポット情報

 虎口(遺構・復元物)

 ストーンサークル(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 東の曲輪(遺構・復元物)

 西の曲輪(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 龍宮(寺社・史跡)

 駐車場&案内板(駐車場)

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