矢野城(やのじょう)

矢野城の基本情報

通称・別名

保木城、発喜城、野間城

所在地

広島県広島市安芸区矢野町

旧国名

安芸国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

熊谷蓮覚

築城年

建武2年(1335)

主な改修者

主な城主

熊谷蓮覚、野間氏

廃城年

弘治元年(1555)

遺構

曲輪、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(矢野城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

仁保城(広島県広島市)[5.9km]
府中出張城(広島県安芸郡)[7.5km]
永町山城(広島県広島市)[10.0km]
広島城(広島県広島市)[10.7km]
二ヶ城(広島県広島市)[13.0km]
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己斐城(広島県広島市)[13.4km]
草津城(広島県広島市)[13.8km]
佐東銀山城(広島県広島市)[16.1km]

矢野城の解説文



矢野城(やのじょう)は、広島県広島市安芸区矢野町にあった、南北朝時代から戦国時代の日本の城(山城)。

概要 

安芸熊谷氏の一族である熊谷蓮覚によって広島湾東岸にそびえる絵下山山頂から北へ延びる丘陵尾根上に、建武2年(1335年)に築城された山城である。城の北側が大手口で、矢野川により形成された谷となっている。南側は絵下山を後方の守りとして、西側には明神山の尾根に続く茶臼山があり、搦手として機能している。元々この地域は後醍醐天皇との関係が深い荘園地域で、山陽道にも近く、広島湾にいる船の動きを監視できる要地であったため、この場所に築城されたと考えられる。

歴史 

1335年11月に安芸守護の武田信武らが足利尊氏に呼応し、反後醍醐天皇の兵を挙げた。毛利氏や吉川氏、熊谷氏ら安芸国の有力豪族などはそれに従い東上の軍を起こした。しかし足利尊氏側であった熊谷氏の分家筋にあたる一族の熊谷蓮覚は圧倒的不利な情勢にもかかわらず後醍醐天皇側に立ち、自身の築いた矢野城に籠もり、足利尊氏側と後醍醐天皇側の攻防戦が発生する。同年12月に4日間の攻防戦を経て大手口を突破され、熊谷蓮覚をはじめとする熊谷氏の傍流一族らは討死し、矢野城は落城した。

熊谷蓮覚の死後、矢野城の詳細については不明である。しかし約100年後の文安2年(1445年)に、室町将軍足利義政より所領を与えられて尾張国野間荘より野間重能が矢野城に入る。その後大内氏の支配下に入り、近隣の平賀氏や小早川氏と争いを繰り返し勢力を拡大する。天文24年(1555年)、厳島の戦いの際に、当主の野間隆実は陶晴賢側につくが、毛利元就の調略によって降伏する。しかし、降伏したにもかかわらず野間氏の一族は虐殺され、その歴史を閉じている。同時期に矢野城も廃城になったと推測される。

現在 

1937年5月28日に広島県指定史跡として指定された。郭の跡も多数見受けられているが、一部は電波塔の用地となっている。

矢野城の口コミ情報

2023年03月31日 カズ
矢野城



絵下山山頂テレビ塔付近に車を駐めて向かいました。きれいなトイレはありますが自販機はありません。芝生広場の方から下っていきます。発喜山城跡でリア攻めし、さらに下ります。
矢野城跡はまだ先ですが、夕刻でもあり野間神社で引き返しました。
発喜山城跡の城域は不明ですが、所々に巨石があり、想像力を働かせれば十分楽しめます。ちなみに山頂から下っていく途中の案内板では発喜山城跡と矢野城跡は別だとされていますが、車で上る途中にある広域の案内板には発喜山山頂が矢野城跡と書かれていました。イノシシと道中のクネクネ道での運転に気をつけて訪れてください。なお、この道は散策される方も多いようで、有志の方々による手入れも行き届いています。

2021年10月10日 安芸守 あきら
矢野天神登山口[矢野城  その他]



広電バス 矢野天神バス停から坂道を上がっていくと登城口があります。
特に案内は出てませんがマップの場所にある民家に向かって左側の小道を上がっていくと、広島熊野道路を越える歩道橋があるので渡って下さい。
登城路は比較的整備されていますが、道幅が狭く急勾配なので少し覚悟が必要です。(ハイキングコースって書いてあるけどハイキングではないレベルだと思います)

2021年10月10日 安芸守 あきら
野間神社(郭群)[矢野城  寺社・史跡]



発喜城(矢野城)の三つある郭群の中腹の郭群に野間神社はあります。
削平地と大岩があります。

2021年10月10日 安芸守 あきら
矢野城跡[矢野城  碑・説明板]



矢野城跡の碑がある曲輪跡です。矢野城のアイコンの場所は発喜山山頂で、発喜城跡のようです。(矢野城は別名、発喜城なので間違いではないかな)周辺には曲輪跡と曲輪を結ぶ土橋、土橋横の横堀があります。

横堀は結構深いので、自然に崩れてできた谷に見えますが、縄張り図の位置と一致するので自然の地形を利用して人為的に構築されたものと考えられます。(自然の谷と思って写真撮り忘れました)

2018年02月17日 桃色安芸守乙事主
矢野城

矢野城への道は枯れ葉の絨毯なれど足首まで埋る程の深さあり。
また、急峻なうえ落葉に足を取られ滑る滑る。
遺構も定かでなく、それなりの準備と心構えが必要と思われます。

2017年08月29日 カーネル
矢野城

呉線矢野駅から
駅の南口から駅前通りを東に進み、極楽橋交差点を右折して、矢野東郵便局を目指す

大通りと並走するので、車が通らず快適に歩けます。郵便局を通過して南下し続けると、県道34号に合流手前に、矢野城主供養記念碑がありました

天神交差点・天神バス停を過ぎ1分ほどで右に小さく『桧下山コース 矢野天神登山口』の茶色の看板で右折。ここまで30分

急坂を登ると小さな逆三角形の案内があるのでこれに従い、その先の赤い陸橋を渡ると山道になる

標識が充実して道も明瞭なので、迷うことはありません。20分で矢野城の標識着。その先に進むと土橋と堀がありました

帰りは矢野城の標識から少し南にある分岐から、矢野ニュータウンに下りました。こちらも標識多数で迷いません

駅から登山口までの距離は、どちらも同じくらいでした
駅から往復して2時間くらいでした


矢野城の周辺スポット情報

 矢野城跡(碑・説明板)

 野間神社(郭群)(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 矢野天神登山口(その他)

 会下山公園ルート登山口(その他)

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