平家城(へけんじょう)
平家城の基本情報
通称・別名
- 柏原城
所在地
- 広島県広島市佐伯区湯来町大字下
旧国名
- 安芸国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 室町時代中期
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、堀切
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
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平家城の口コミ情報
2023年05月06日 安芸守 あきら
登城口[平家城 その他]
河内神社横のあぜ道を進んで行くとちょっと分かりにくいのですが、写真のとおり水路にちょこっと蓋がかかった坂道があります。ここを登って行くと堀切の堀底に到達し、そこから尾根伝いに主郭に向かって登ります。登城道は明確なものは無く、何となく草木が少ないルートを選びながら尾根から外れないよう進みます。道中、結構急坂で足下も木の根や石で悪いため、トレッキングシューズなどしっかりした靴で登城しないと危険です。遺構は堀切と曲輪状の削平地がある程度で、本物の城マニアじゃないと期待はずれ感が半端ないと思います。とは言え、自然の川に囲まれ急斜面の地形を見ると、築城には適地であると感じられました。
2020年02月23日 ささみん讃岐守狸の守
平家城
先の人も書いている通り、433号はかなりの酷道なので夜間や荒天時は避けた方がいいかもしれません。
2017年05月08日 小早川安芸守ケンケン
平家城
地元の男性に御聞きしたところ、ヘケン丞とは言わずヘイケ城と地元では呼ばれているとの事。小高い古墳の様な岡がありその辺りと言われ言ってみたが、一目で城跡とは解らないと思われる。
2013年04月28日 小鉄馬単騎周防守黒煤蕪
平家城
登り口は、墓地の横に尾根に向かう山道が有ります。近所の方によれば、写真の左側の部分に石塁が有るとの事。残念ながら、見落としました。
2011年05月28日 安芸守しげと愉快な仲間達
平家城
北西側の1郭は45m×5mの規模で、南東部に2郭10m×4m、少し下って2段の3郭25m×4mと22m×6mがある。
3郭を下ると堀切に達し、4郭20m×5mがあり、もう一本の堀切に達する。
この堀切の南東に5郭9m×4mがあり東側部分に自然石の列石がある。
南東部の最高所6郭9m×6mの西側には帯郭があり、南下には小郭が続いている。
2011年05月28日 安芸守しげと愉快な仲間達
平家城
●広島県教育委員会発行の「広島県中世城館遺跡総合調査報告書第1集(1993)」によると、城の遺構は丘陵先端部にあり、約200mの細長い丘陵上全体を使用している。
途中2本の堀切によって分断されており、北西側の丘陵部(標高183m)と南東側の丘陵部(標高165m)から成り立っている。
2011年05月28日 安芸守しげと愉快な仲間達
平家城
◆概要
城の遺構は、丘陵先端部の尾根を加工した本城郭と、切り堀により分断した郭が尾根伝いに5郭続いている。北西部にはマサ土を掘り取ってあり、延長上に更に郭があったと思われる。●制作の年代
室町時代中期
●由来
文化10年「佐伯郡麦谷村差出し帳」には、「柏原一、古城跡一ヶ所、右へ城山を平家之城与申候 城主之名知不申右平家侍落人之由申伝へ御座候」
文政8年「芸藩通志」では、「麦谷、下二村の間にあり、一に平家城と呼ぶ。上総五郎兵衛忠光が商、市川周防兄弟、居守せしといふ」