久慈城(くじじょう)

久慈城の基本情報

通称・別名

新町館、八日館

所在地

岩手県久慈市大川目町

旧国名

陸中国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

久慈氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

久慈氏

廃城年

天正20年(1592)

遺構

曲輪、空堀

指定文化財

市史跡(久慈城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

大野館(岩手県九戸郡)[11.8km]
種市城(岩手県九戸郡)[23.2km]
熊野館(岩手県九戸郡)[24.9km]
普代城(岩手県下閉伊郡)[26.0km]
葛巻城(岩手県岩手郡)[29.0km]

久慈城の解説文

久慈城(くじじょう)は、岩手県久慈市に所在した日本の城郭。別称 新町館、八日館。

概要
久慈城は戦国期の平山城で、九戸郡大川目村(現 久慈市大川目町字新町)に所在した。城跡は久慈川の左岸、新町集落の北方、大川目慈光院の東側の男山を利用して独立丘陵上に位置し、北側後背地に空濠がめぐらされ、南側は主郭部で南北に長い平場をなして、丘陵頂部より平坦地が3段に作り出されていた。ふもとに位置する堀屋敷と称される平場が日常の居城と思われる。

現在は、本丸跡・堀が残っている。(久慈市指定史跡 昭和48年10月8日 指定)

歴史・沿革
久慈氏の居城で、久慈修理助治政の養子、十二代と伝えられる備前守信実の頃からが大川目八日館に居住したのが始まりと伝わるが、築城時期は不明だが、信実が当地に入ったのは文明年間(1469~87年)のころである。と、いわれている。(「摂待久慈家譜」)

天正19年(1591年)9月、久慈氏宗家である、久慈備前守直治は九戸信仲の三男中務政則を娘婿とした[1]ため、九戸政実の乱において九戸政実に荷担し、九戸城に籠城したが降伏し開城に伴い、主だった首謀者達とともに栗原郡三迫岩ヶ崎(現 宮城県栗原市)に送られ処刑され、久慈氏の嫡流が滅亡した。 没後、久慈城は南部信直の直轄下におかれることとなり、代官は久慈修理治興であった。

天正20年6月、「諸城破却令」により廃城された。諸城破却書上には「久慈 山城破 信直抱 代官 久慈修理」とある。

久慈城の口コミ情報

足軽越中守一歩様[2010年08月20日]
城巡りの中で
日本一、行かない城趾!!
という事なので書き込みします。
最初に見える、看板、標柱、登り口はここです。このまま進んでも、山道を通り抜けるだけです。登り口は他にもあります。すぐ上に祠があり、斜面を削ったと思われるような跡はありました。夕方で時間もなく道の草も伸びて歩きづらかったので途中で引き返しました。本丸までは行ってないので、どのようになってるかはわかりません。

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