奥瀬館(おくせだて)
奥瀬館の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 青森県十和田市奥瀬字上通
旧国名
- 陸奥国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 奥瀬氏
築城年
- 鎌倉時代?
主な改修者
- -
主な城主
- 奥瀬氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪
指定文化財
- -
再建造物
- 碑
周辺の城
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七戸城(青森県上北郡)[14.2km]
伝法寺館(青森県十和田市)[14.3km]
聖寿寺館(青森県三戸郡)[23.3km]
下田館(青森県上北郡)[23.4km]
剣吉城(青森県三戸郡)[25.3km]
三戸城(青森県三戸郡)[26.0km]
田子館(青森県三戸郡)[27.0km]
尻内城(青森県八戸市)[27.8km]
目時館(青森県三戸郡)[29.4km]
櫛引城(青森県八戸市)[30.4km]
奥瀬館の解説文
[引用元:Wikipedia「奥瀬館」の項目]
奥瀬館(おくせだて)は、青森県十和田市奥瀬にあった日本の城。奥入瀬川の支流・片淵川右岸の台地を利用した東西50メートル、南北100メートル規模の平山城で、曲輪内には井戸跡・馬場跡が残されている。
歴史
築城年代は不明であるが、甲斐から南部家に供奉して糠部に下った四天王の一人小笠原安芸の末裔で、幕の後七家の一人である奥瀬氏の居城とされる。
天文8年(1539年)6月、家老奥瀬安芸は所領の境界を巡って訴訟を起こした赤沼備中によって斬られ、本三戸城が放火により炎上、消失した。
天正19年(1591年)の九戸政実の乱の時は南部信直に味方し、慶長3年(1598年)の『館持支配帳』には「奥瀬館、千石、奥瀬内蔵之介」とある。
参考資料
- 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」
- 【書籍】「角川日本地名大辞典2 青森県」
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奥瀬館の口コミ情報
2023年04月25日 MACHT征夷大将軍
奥瀬館
車で容易にアクセスできそうな場所だったので立ち寄ってみました。住宅地っぽい場所から山側に入っていくと道路脇に大きめの待避場所があったのでそこに車を停め、目の前の城の位置に向かって歩いていくと、大きめの曲輪状のスペースがあります。
桜の木がたくさんあったので地元の憩いの場所みたいになってるんでしょうか。ただし、既に桜の大半は散っていた、残念。あまり遺構のようなものは見られませんでしたが、八甲田山系の山々が綺麗に見える場所でした。後、リア攻めマップに記載しましたが、奥瀬館跡の碑がひとつ曲輪の下側にありました。