野辺地城(のへじじょう)

野辺地城の基本情報

通称・別名

金鶏城、(野辺地代官所)

所在地

青森県上北郡野辺地町字野辺地

旧国名

陸奥国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

野辺地氏

主な城主

アイヌ、野辺地氏、石井氏、小軽米氏、日戸氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀

指定文化財

再建造物

碑(野辺地代官所跡)

周辺の城

内沼蝦夷館(青森県上北郡)[15.7km]
七戸城(青森県上北郡)[18.6km]
多宇末井館(青森県青森市)[22.3km]
横浜館(青森県上北郡)[26.8km]
野尻館(青森県青森市)[31.4km]
横内城(青森県青森市)[31.6km]
奥瀬館(青森県十和田市)[32.0km]
伝法寺館(青森県十和田市)[34.9km]
高田城(青森県青森市)[35.5km]
下田館(青森県上北郡)[36.4km]

野辺地城の解説文



野辺地城(のへじじょう)は、青森県上北郡野辺地町字野辺地に所在した日本の城。別名・金鶏城(きんけいじょう)。城跡は「野辺地代官所跡」として野辺地川右岸沿いの同町中央公民館敷地内に位置し、「城内」の字名が残る[1]

概要 

野辺地城は中世の平山城で、天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には、「野辺地 山城 七戸 将監 持分」とあり、北方および西方に備えた要害屋敷として、慶長3年(1598年)の『城持支配帳』には「野辺地館 弐千石 藤の丸石井伊賀」とある。その後、小軽米氏、日戸氏が相次いで城代となり、享保20年(1735年)に、盛岡藩内に通制が敷かれた時、代官2名がおかれ、野辺地代官所となった(元々の建築年代は明らかではない)。

明治元年(1866年)の戊辰戦争の一局地戦として、弘前藩と盛岡藩が交戦した野辺地戦争では、盛岡藩兵側の拠点となった。

参考資料 

  • 【書籍】「角川日本地名大辞典 2 青森県」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田」

野辺地城の口コミ情報

2022年09月06日 Tenshi49
野辺地城



野辺地町立中央公民館手前に野辺地代官所の記念碑があります❣️

2022年08月26日 RED副将軍
野辺地城



現在は資料館や図書館となりほぼ消失。

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代等は不詳。
南北朝時代に七戸南部氏の一族が上北統治のために野辺地城を築いて居城とし、野辺地氏を名乗ったと云われます。
1456年の蛎崎蔵人の乱において、蛎崎氏の攻撃を受けて落城しました。
1591年、九戸の乱により七戸氏が没落すると野辺地城は三戸南部氏に接収され、津軽に対する抑えとして石井伊賀が入城しました。
その後も、小軽米氏、日戸氏が城代として入城し、南部盛岡藩の代官所に改められ 、明治維新まで存続。
1871年、廃藩置県により廃城となりました。

見所
現在は、主郭部は町立歴史民俗資料館や図書館となり、周囲も宅地化によりほぼ消滅。
主郭南側は、野辺地川を天然の堀とし、北側に虎口を開き三方に堀がありました。
南東に空堀、北西に切岸らしき地形が残る程度です。

野辺地城の周辺スポット情報

 藩境塚(その他)

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