二俣城(ふたまたじょう)

二俣城 投稿者:Ce遠江守Co2さん

城郭基本情報

名称(よみ) 二俣城(ふたまたじょう)
通称・別名 蜷原城
所在地 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣
天気情報

11/22(金) 降水確率:10%
17℃[-2]10℃[±0] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 浜松市役所市民部文化財課[電話
分類・構造 連郭式山城
天守構造 不明(天守台あり)
築城主 松井氏?
築城年 16世紀前期
主な改修者 大久保忠世
主な城主 松井氏、中根氏、依田氏、大久保氏、堀尾氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(二俣城跡及び鳥羽山城跡)
再建建造物 石碑、説明板

城郭口コミ


2024/09/19 03:55みっこん岩代守
二俣城:武田信玄公が病没される前に落城させた城を現認したく訪問しました。駅からの案内看板が多数有りましたので迷う事は有りません。麓の街道から山頂の本丸まで少し坂道になっていました。背後には天竜川が流れており、各曲輪、石垣、堀切等、遺構が多数有りました。 また写真の通り除草がされ歩き易く、順路看板のデザインも良かったですね。 地元の皆様の整備活動には頭が下がります。訪問当日は大変暑かったのですが、歴史に名を残した城郭跡は見所満載でした。

2024/09/04 04:09RED副将軍
二俣城:武田信玄・勝頼父子と徳川家康が激しい攻防を繰り広げた二俣城の戦いの舞台⚔⁡オススメ度 ★★★★⭐︎⁡築城年代は不詳。文亀年間(1501年〜1504年)に今川氏家臣である二俣昌長により斯波氏に対する備えとして築かれたのが始まりと云われています。その後、同じく今川氏家臣の松井氏が現在の天竜川を見下ろす台地上に移転させたとも云われます。1560年に桶狭間の戦いで今川義元と松井氏当主の松井宗信は討死。子の松井宗恒が継承するも1568年に徳川家康の進攻を受け降伏し、二俣城は徳川家康の属城となります。1572年に武田信玄は遠江に侵攻し、武田勝頼を大将として大軍が二俣城を包囲します。難攻不落の二俣城は堅固で...

城郭攻略情報


2024/10/23 14:11
拓郎中務大輔
新東名下り、浜松北インター過ぎから連打しましたが無理でした。
2024/06/02 01:53
しらす大宰大弐
新東名下り高速バスの中から、浜北地域活動研修センターの文字の上あたりの区間で攻略できました
2024/03/13 20:04
二郎三郎三河守
362号根堅大門信号で鳥羽山城と一緒に攻略
2024/02/25 08:22
左衛門佐羽柴の若武者稲荷
上野部駅到着前に攻略
2024/02/19 07:22
武田弾正少弼信靖
新東名高速道路上りの浜松サービスエリアから浜松浜北インターチェンジ1.3km看板付近までで攻略!

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 イケポンさん 98

 2位 光明村の足軽さん 75

 3位 にざえもんさん 73

二俣城の周辺スポット情報

 天守台(遺構・復元物)

 西の丸(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 蔵屋敷跡の石垣(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 中仕切門跡(遺構・復元物)

 搦手門跡(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 馬出し(遺構・復元物)

 二の丸(碑・説明板)

 案内板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 金の生る木の伝(碑・説明板)

 笹岡古城趾碑・説明板(碑・説明板)

 城趾碑(碑・説明板)

 案内碑(碑・説明板)

 笹岡古城(周辺城郭)

 只来城(周辺城郭)

 蜷原砦(周辺城郭)

 清滝寺(寺社・史跡)

 信康廟(寺社・史跡)

 旭ヶ丘神社(寺社・史跡)

 城山稲荷神社(寺社・史跡)

 光明寺 奥の院(寺社・史跡)

 光明寺(寺社・史跡)

 天竜区観光協会 天竜支部(御城印)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 二俣小学校前無料駐車場(駐車場)

 二俣城井戸櫓(関連施設)

 展望台(関連施設)

 光明山古墳(その他)

 

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