真田本城(さなだほんじょう)もしくは真田氏本城(さなだしほんじょう)は、長野県小県郡真田町(現上田市)にあった日本の城(山城)。戦国期に活躍する真田一族発祥の地である真田の郷にあった。
もともとは松尾城、十林城、住連寺城、真田山城などと呼ばれていたが、1976年に始まった真田地域の城群の調査の中で、一志茂樹が提唱した仮説から真田氏本城と呼ばれ、ただ単にそれが定着したものに過ぎず、真田氏の本城であったか疑わしく、実際に真田氏の城であったかも定かではない。
概要
真田盆地の対峰に要害の地戸石城を望み、更に周囲の峰々にも数多くの支城群が連なり、単体の山城ではなく真田盆地を取り囲む山城群の司令部的存在とも考えられている。
この一帯の中の城としては比較的規模が大きく見晴らしが良好など、様々な背景から本城という名称が付けられているものの、この城が実際に真田氏の本城として機能していたかは定かではない。また、現在残る遺構が天正年間のものとは考えられない。真田氏本城は当時の一切の文献に登場せず、真田氏の城であったとされる根拠はない。真田氏館の背後に位置する、天白城が本城の機能を果たしていたとの考えもあるが、天白城は些か規模が小さく、本城としての機能を持つ城があったかも含め、今後の研究が待たれる。
歴史
築城は戦国時代の天文年間(1532年 - 1555年)に、武田家臣の真田幸綱と伝わっていたが、発掘調査により、鎌倉時代からも使用の痕跡があり、真田氏以前にも山城が存在していたとも考えられている。
天文10年(1541年)に甲斐国の武田信虎、信濃国諏訪郡の諏訪頼重、村上義清連合軍が信濃佐久・小県郡侵攻を行う(海野平の戦い)。これにより、滋野氏嫡流の海野棟綱と共に、真田幸綱(幸隆)は本領を奪われ上野国へ亡命した。この当時の真田本城については一切の史料が残されておらず、不明な点が多い。
天文20年(1551年)5月26日に、武田晴信(信玄)の命を受けた幸綱は戸石城を奪取し、小県の本領を回復した。上田城に移るまで真田氏館と共に、真田氏の本拠地であったという考えもあるが、1582年に真田昌幸が家臣に送った書状から上田城築城までの一時期は、戸石城を拠点としていたことが考えられる。
- 天白城
- 松尾城(松尾古城):鳥居峠(吾妻・上州)方面。鳥居峠を越えて岩櫃城、沼田城と続く。
- 洗馬城・根小屋城・横尾城:地蔵峠(松代・北信濃)方面。洗馬城は真田氏最初の拠点。
- 殿城山城
- 伊勢崎城・矢沢城:上田方面
- 内小屋城:平地に建てられた2代目の拠点。後背地に横尾城があるため、実質的には館と考えられる。
- 戸石城:実態は戸石城を中心とする山城群。
参考文献
- 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年