摺上原の勝因は!?(2025/06/03)

蘆名方の忠臣を顕彰する「三忠碑」(福島県猪苗代町)
伊達政宗が蘆名軍との激闘を制した摺上原の戦い。
この戦いの伊達軍の勝因をあえて1つあげるならどれ?
[投票実施期間]2025年06月03日~2025年07月18日
1.蘆名家当主義広の父、佐竹義重が参戦できなかったこと。 |
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2.義広が若く家中分裂の状態にあり、戦意が低かったこと。 |
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3.戦闘中に風向きが変わり、砂塵が蘆名軍に吹きつけたこと。 |
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4.政宗による流言や破壊活動、采配が一枚上手だったこと。 |
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5.兵力差が影響する野戦で、伊達軍の方が数が多かったこと。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
平朝臣井坂弾正少弼貞幹(4を選択)
実際は複合的。伊達側の工作が上手で佐竹義重が着陣する暇もなく戦闘に誘い込めたことと猪苗代盛国の寝返りが一番大きいと思うが、兵力は伊達有利でも風向きは最初蘆名勢に有利で伊達勢は一時期窮地だった
たぬき(4を選択)
選択肢の書き方が悪意があるような…。
政宗主従が優秀で勇敢だったから、ということにしたい。
絆✨左衛門佐紺絹地六連銭(1を選択)
これに加えて、相馬家を牽制し参戦させず、また蘆名家重臣猪苗代氏を寝返らせておくといった事前工作が勝利を確実にさせただろう。伊達家も優秀な家臣団に支えられ連勝していた…
くまモン日向守(4を選択)
1も2も5も、全ては政宗の智謀の結果と言えるのでは
杉ちゃん尾張守(2を選択)
よく知らないけどこれかな?
みかり兵部少輔(4を選択)
政宗はひょっとしたら天下人になったような天才。
佐藤右近将監健一(2を選択)
戦意が大切だと思いました。
真田左大臣もきち(2を選択)
蘆名が弱体化してることにつきる
黒猫くん上総介(2を選択)
佐竹家の影響力強すぎて家中分裂状態だったのが1番デカイ
しまさこ23(2を選択)
家中が伊達派と佐竹派に分かれていたからなあ。先代が小姓に殺される急死したので跡目に政宗の弟竺丸にするか義広にするか揉めだが強引にすすめだので猪苗代氏が裏切ったりした。
右馬頭げんぺい(4を選択)
どれも理由の一つですが、ひとつを選ぶとすれば4がすべてに関わる勝因ではないかと。
偶然ではない勝利へ至る段取りが上手いと思います。
Ryo弾正忠(5を選択)
あえて一つならこれかなぁ。
【】 大蔵卿藤虎(2を選択)
伊達軍は、騎馬隊を駆使した速攻と包囲戦術で蘆名軍を圧倒した一方、蘆名軍は混乱し、戦意を喪失した上に内紛や家臣の反乱で戦意が低かった。
ひらりぶらり旅(4を選択)
戦闘中には風向きが変わり運も味方につけたが、合戦にいたるまでの策略、軍略が相手より秀でていた。
京極蔵人頭ぽて丸(4を選択)
政宗公は出来る事は全てやったうえで、事前に敵連合軍の覚悟の甘さと驕りを分析し、その瞬間を待ち耐え切り、その一戦に全てを賭けた。やはり最後は覚悟の差が出たと。
タチカワウソ(6を選択)
情報伝達速度の優位による点。敵対勢力と蘆名との連携を困難にし、猪苗代城の寝返りのタイミングや黒川城までのルートを確保する手際がスムーズで効果的だった点。
相模守愛洲久忠(1を選択)
義広のパパの渾名は鬼義重。勝てるわけが無い!
たか(2を選択)
直前の猪苗代盛国の寝返りは痛かったが、結果として有力家臣に家政を牛耳られ伊達派の家臣を粛清してしまったことで、家中をまとめられなかったのは力量不足と言えますね
伊勢宗瑞(1を選択)
佐竹義重が動けなかったのが一番大きいと思う。
クワトロ兵庫助バジーナ(1を選択)
鬼
左衛門佐土佐金魚丸(1を選択)
政宗の采配もいちりあるのでは?
なるちゃん民部卿(1を選択)
連合軍を各個撃破に持ち込んだところでしょうか。
ささみん讃岐守狸の守(3を選択)
風向は午後には変わるという猪苗代盛国の言を信じ風下に陣取る度量。砂塵の中攻撃に耐え、追い風が吹き始めたらすかさず反撃に転じる底力。逆に言えば蘆名軍は追い風を活かせなかった
偶然ではなく必然の勝利
うご下野守(2を選択)
政宗の采配も去ることながら、蘆名の当主の交代が続いた後、伊達と対峙するこの時期、組織固めが出来なかったのが敗因だろう。
兵庫允りょび(4を選択)
猪苗代氏の調略や陽動作戦など、終始政宗が主導権を握っていたこと。風向きが変わる幸運も確かにありましたけど。
中務丞リョー(1を選択)
鬼義重いたらなーと
信長の野望脳ですが
JUN(2を選択)
蘆名氏の家臣達にすれば、佐竹よりも伊達に乗っとられた方がマシ?
大谷刑部少輔吉継(3を選択)
やはり、風向きだと思われます。
明日は晴れるかな(4を選択)
やっぱり政宗のほうが一枚も二枚も上手だったということやね(笑)
マタザ但馬守(3を選択)
赤壁のようなロマンを感じてみたい
ぼっち左兵衛佐盛(4を選択)
政宗の狡賢さ、非道さが要因でしょう
しげ左京大夫(6を選択)
猪苗代盛国が味方になったこと。
たちばな大学頭さねまろ(4を選択)
政宗の戦略がはるかに勝っていたことが一番の勝因。蘆名家中の乱れもあるが、それを察知して猪苗代盛国を寝返らせた
いず常陸介なおとし(2を選択)
猪苗代氏が離反したのが大きいと思っています。
同族なので、蘆名の世継ぎを猪苗代氏から出してたことがあって「血からしたらこちらが上だろ」と思っていたんじゃないかなぁ…
武田駿河守悠成(6を選択)
政宗の迅速な行動力で戦いを制したから。
科葉十勝守師朝(4を選択)
徹底的に敵の兵力分散策を行った政宗の策謀が実った結果だと思う。
紅い征夷大将軍いしじぃ(2を選択)
他の大名を見ても家中分裂は家を滅ぼしてしまう原因だと。合戦とは挙国一丸となって行われることで、リーダーが分裂していて士気が下がるのは敗戦必然。
+かず(2を選択)
家中分裂してなければまた違った結果もあったかも知れませんね
相模守謙龍(6を選択)
猪苗代が味方についたことですかね。
奥山左衛門佐朝清(2を選択)
指揮命令系統の統一と、団結力かな?
鈴城左馬頭行脚(3を選択)
奥州の覇者は、独眼竜 政宗‼️ということでしょう
民部丞武蔵百足衆(2を選択)
政宗の采配、天候の変化もそうですが、当主・義広が蘆名氏の跡を継いだばかり、若くしかも他家出身の人間が当主になるのだから、家臣達は当主の力量に疑念を抱いているからなぁ…
はやたろう(1を選択)
せっかく勝って、奥州の覇者になりかけたのに、遅かった。
大宰少弐たつき(6を選択)
采配や風向きの変化などが複合的に起こって勝因となったと思う
睡眠第一主義!!(2を選択)
蘆名の足並みが揃わなかったのが原因かと。どの大名も滅亡の原因は結局は家中の内輪揉めだと思ってます。
こたりく主計助(3を選択)
天候が勝敗を左右した
篠沼大膳大夫義久(1を選択)
1と3。伊達は情勢分析に疎く重臣家臣の多くを失ってギリ勝ったが取り上げられた。伊達の残念で無駄な戦い。佐竹動けばボロ負け。動かなくても負けそうになってたし。
ケン(4を選択)
やはり政宗の戦略勝ち
シノ大膳大夫ヨッスイ(1を選択)
本格的に佐竹軍が参戦したら戦況はわからなかったと思う。f(^_^)
甑岩参議正頼(2を選択)
猪苗代盛国の裏切りが決定的だったと思い、後妻の子に家を継がせたくて裏切ったと言うことだけど、それも家中が分裂していたからこそと思い、2で。
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