武田信繁が討死していなかったら…(2017/10/17)
典厩寺(長野県長野市)内にある武田信繁の墓
第四次川中島の戦いで壮絶な討死を遂げた武田信玄弟の武田信繁。では、もし信繁が討死していなかったら、信玄死後の武田家の運命はどう変わっていた?
[投票実施期間]2017年10月17日~2017年11月08日
1.勝頼に意見できる重鎮としてこれを補佐し、武田家の最大版図を現出させた。 |
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2.織田・徳川の勢いは止められなかったものの、甲斐・信濃程度は保持した。 |
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3.信繁をもってしても勝頼は制しがたく、史実と変わらぬ運命をたどった。 |
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4.信玄実弟の信繁の影響力を嫌った勝頼に、いずれは追放または暗殺された。 |
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5.勝頼の器量不足を憂えた信繁が勝頼を追放し、自ら武田家当主となった。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
わんちくん(3を選択)
時代の流れは 1人の武士では どんなに優秀でも 変わらないのでは
左衛門佐ヒロ(2を選択)
信玄ももう少し長生きして兄弟が揃っていれば勢力を拡大出来たかもしれないが、そうでないなら甲斐信濃の維持だけになるのでは?
織田斬城(6を選択)
そもそも、信繁の影響力により嫡男義信が廃嫡されることはなく、勝頼が家督を継ぐことはなかったのではないでしょうか?
式部卿となりのヨーダ(5を選択)
器量以前に家臣が納得しやすい
こげぱん(6を選択)
上洛戦に甲斐に残して、後顧の憂い無く織田信長と美濃で決戦でき、一時的には京にまで登れたのではないだろうか?もしかしたら嫡子義信を守り抜き廃嫡で済ませ、武田の滅亡を救ったのではないか?
食反田越前守ネ谷シ台(6を選択)
川中島で戦死しなくても、その後の余命までは分からないし、信玄と義信の問題の頃にはどう行動したかも読めないことから、全く不明。
まこちゃん兵部大輔(5を選択)
武田家とは、私はこんな感じのイメージです
刀八毘沙門(6を選択)
義信がどれだけの器量か甚だ疑問だけど、武田家滅亡はなかったかも?
ジャスティ大納言タイラー(2を選択)
もし生き残っていれば、武田家での重要度はかなり高かったと思います。
さざらもざら民部大輔(6を選択)
宇宙人
豊川三河守いなりん(1を選択)
勝頼の前に義信の廃嫡を止められていたとしたら、武田の繁栄は長かったかもしれませんね
島津大隅守龍伯(2を選択)
木曾小山田穴山の裏切りは看破していたと思うが、長篠の戦いの敗戦は信繁が存命でも勝利することは不可能。ひょっとしたら長篠の時に決戦を挑まずそのまま撤退もあり得たのでその場合だとこの答えかな。
ろくさーぬ(1を選択)
勝頼は器量不足ではないが武田家本筋でないため家臣団から認めてもらうため無理に手柄を焦って止むを得ず暴走した。信勝が16歳まで勝頼が当主、信繁が補佐すれば最大版図を築けた。
堤玄蕃允晴孝(1を選択)
信繁なら勝頼への重しとなったでしょう。長篠を回避できたかと。
左大臣国盗りひろくん(6を選択)
違うことが起きたとすると、信玄没直後に信玄意志を尊重して京都に向かったら、何か変わったかも
そうでなければ諏訪と甲斐の家臣たちの揉め事なので、経過は多少の違うかもしれないが、結局同じとも言える
出羽守たか丸(6を選択)
わかりません
鬼義重常陸介いわちん(3を選択)
信廉や、信玄のころから仕えていた重臣達の意見を参考にしていれば持ちこたえていたと思う。信繁がいたとしても勝頼次第。聞く耳を持つか?
忍(3を選択)
信廉以下、まだ信玄のころの重臣がいたにも関わらず、ああなってしまったのだから信繁がいても変わらなかった。
征夷大将軍西大寺信誠(3を選択)
勝頼の改革と信繁の安定がかみあえば延命できるが、中央の近世化のスピードには追いつけず、負けるのでは!
(3を選択)
結局は歴史の通りになったと思う
柏木常陸介マサカド(6を選択)
勝頼云々よりも義信事件を回避し、信虎の隠居先の今川との同盟関係を保持すると思いたい。そうすると、西上作戦や家康の遠江侵攻は起きないか後の年代となり、史実とは違う勢力図が出来る。
スライダーボール(2を選択)
織田に風が吹いていた。
SKD47勘解由長官(6を選択)
出題者が考えているほど、勝頼は無策無能ではないし器量不足ではない。信玄から同盟破棄をした以上、織田との激突は避けられず、信繁がいても結果は同じだったでしょう。
かげかつ(1を選択)
希望的に……父親の弟だし。ただ、実際は4の可能性が高そう。
黒猫くん上総介(1を選択)
勝頼期より堅実に版図拡大されたとは思う。長篠の戦いのような惨敗はなくともいづれ織田勢力に押され衰退する史実は変わらない
伏龍孔亮(6を選択)
もしかしたら信繁だとしたら織田・徳川が攻めて来なかったかもしれないです。
Hanbey美濃守(2を選択)
滅亡は避けられたかな?
風林火山主水正(6を選択)
信玄と義信の確執が抑えられ、義信が家督を継ぎ、勝頼は親族衆として義信を補佐する立場となった。それにより、武田家内部は義信を中心に纏まり、信玄が残した領国を維持した。
大蔵卿モトヤス(6を選択)
そもそも義信がついでるんじゃないかな…
飴家内匠助崇文(3を選択)
追放もかわいそうだし、やっぱり3番ですよね。
青コアラ美濃守(3を選択)
勝頼を補佐するも、先に亡くなって後は同じ展開かと
左衛門尉オリ城(1を選択)
信繁なら武田家中のまとめ役として十分だったと思う。
勝家の忍弾正少弼ふしき☆ぁん(4を選択)
長篠の合戦で目障りな重臣どもを皆殺しにした?
健次・伊豆守(6を選択)
上杉家と同盟を結んだら面白い。
左衛門尉しのぞー(6を選択)
上杉みたいに分裂しそうですね
まさ宮内卿猛虎(2を選択)
延び盛りの織田、徳川の勢いは止めるのは、謙信も無理であったろう。何れは、両者と争うとも、甲斐国や信濃程度は領国として、長く手中にしていたであろう。
道嶋左衛門佐嶋足(6を選択)
信玄の後継を信繁と定め、その後、誰に家督を譲るか?検討したのでは?と願望したい。勝頼が家督を継承せず、息子に継がせたのでは?と思いをはせます。勝頼は傍流ですから・・・。
内蔵頭航生(4を選択)
有能な人は警戒される
カデル織部正(2を選択)
兄である信玄の代わりに命を散らした程の人なのだから、息子の勝頼の対抗勢力になることは考えにくい。
中務大輔真銀(6を選択)
信繁派と勝頼派の内紛に発展するかも・・・
で、どちらかが徳川と手を結んで結果的に家名存続・・・とかね
しんぺー(2を選択)
武田家の羽柴秀長になれた可能性は高いかと。ただ、信繁の寿命後、武田家がどうなるかは読めない。
車左京大夫寅次郎雲黒斎家元(1を選択)
こうあって欲しかった!という願望…
Y(6を選択)
信玄はすぐに勝頼を当主とせず数年間は信繁を
仮の当主とするよう遺言し、その間に信繁は
北条と再び、そして上杉とも同盟を結ぶという
ウルトラC をやってのけ織田・徳川軍と激突。
伊達駿河守景宗(6を選択)
最盛期の武田家の版図を維持する事は到底無理だろうけど少なくとも滅亡は防げたと思う。
織田の武将として存続出来たのでは?1,5,4はほぼ無いでしょうね^_^
おとこ、大学頭侍(1を選択)
幼少期から補佐に徹した信繁ならば、勝頼、家臣をうまく繋いで立ち回ったはず。
よしまさ(6を選択)
義信が家督を相続し、相当に結果は変わった。
しまたろう上野介(6を選択)
信繁が生きていたならば、義信事件も上手くのりきり、勝頼は武田氏の当主とならず諏訪勝頼として武田氏の有力武将として過ごせ。武田氏の滅亡も違ったものとなったかも。
民部少輔じいたん(6を選択)
信玄と義信の対立も無く 家督は、義信が継ぎ、勝頼は信濃を治め諏訪を名乗り
甲斐、信濃は盤石になり
後世まで武田家が続いた。
菊理媛(6を選択)
信玄死後の武田家の運命は信玄の機会的な侵攻戦略がもたらしたものなので勝頼の器量とは関係なく、よって史実より天目山の戦いの大将首が一つ増える変化しかない。
相模守ふくちゃん(1を選択)
典厩、好きだわー!
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