最も重要だった徳川家康の合戦は?(2016/03/18)
徳川家康銅像(浜松城跡)
生涯で数多くの戦場をくぐり抜け、ついには天下を手中に収めた徳川家康。では、その家康の戦歴の中でも最も重要だったと言える合戦は?
[投票実施期間]2016年03月18日~2016年04月04日
1.単独では戦功をあげるも、主君今川義元戦死で敗退した「桶狭間の戦い」。 |
|
2.家臣の中からも多くが敵に回り、苦戦の末に鎮圧した「三河一向一揆戦」。 |
|
3.援軍として参戦するも、浅井氏の離反で窮地に陥った「金ヶ崎の退き口」。 |
|
4.信長の援軍として再び参戦し、朝倉軍を破る大功をあげた「姉川の戦い」。 |
|
5.大軍擁する武田信玄に挑み、完膚無きまでに破られた「三方ヶ原の戦い」。 |
|
6.自領に侵攻した武田勝頼を、信長の援軍とともに撃破した「長篠の戦い」。 |
|
7.圧倒的な兵力差がある中で、北条氏と対等に渡り合った「天正壬午の乱」。 |
|
8.秀吉の大軍を相手に、野戦での強さを見せつけた「小牧・長久手の戦い」。 |
|
9.石田三成との決戦を制し、実質的な天下の覇権を握った「関ヶ原の戦い」。 |
|
10.懸案だった豊臣家を滅亡させ、徳川氏の治世を盤石にした「大坂夏の陣」。 |
|
「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
トムトム秋田城介(5を選択)
絶体絶命の一歩手前まで追い詰められた戦だから。
038(9を選択)
1も重要でしたがやはりココ
主計助ケエン(8を選択)
これに負けていたら関ヶ原の戦いや大阪の陣所ではないと思う。また、豊臣からの人質や重鎮としての扱いもなかっただろう
右衛門督kiyoshi(8を選択)
秀吉に潰されずに、一目置かれる存在になったこの戦が重要だったかも
この後の流れは必然
静寂の葵内匠頭命(5を選択)
改めて見ると辛い戦が多いなぁ…
高円寺武蔵守たけし(9を選択)
まぁこれでしょうね。
ミーです越後守(9を選択)
やっぱりこれでしょう!
かつごん(5を選択)
命を落とすとこだったからね!
式部卿となりのヨーダ(8を選択)
この戦いで秀吉は家康の取り潰しを諦めたと思う
畠山兵部卿重忠(5を選択)
あそこで生き残ったから。
片倉左衛門佐七之助(5を選択)
負け戦から多くのことを学んで後々大勝利を重ねるようになるから
しんご(1を選択)
今川が勝っていたら一生芽が出ないままで終わったと思います。
徳川よしのり(5を選択)
この戦でおごりたかぶることが危ういということを学び、生涯慎重になり、謙虚になったのではないかと推測している。
立川木工助 健(5を選択)
三方ヶ原で生死の境目にいた家康が生き残ったから天下人になれたんだと思う。
竹森掃部允丈智(5を選択)
一番、徳川家康にとって重要な戦いは三方原の戦いだと思います。あと、戦いで徳川の強さへと変えたのだと思います。
うえさま(5を選択)
この負け戦を教訓として、後の家康の強さがある。
七忍野権兵衛(10を選択)
決着
小早川隆景(1を選択)
完全に独立するきっかけだったから!
カエズ常陸介ガリュキ(1を選択)
ここからが天下への第一歩
iCastle周防守SE2(9を選択)
どの合戦も甲乙つけがたいけど(特に小牧・長久手)、「鳴くまで待とう不如帰」の家康が、信長・秀吉の天下餅を「座りしままに食う」瞬間こそ関ヶ原だったと思う。
如月山城守てっち(9を選択)
まさしく天下分け目の戦い。
これに勝てなければ、徳川の天下は無い。
石出治部少輔二成(9を選択)
やはり、天下分け目の大戦でしょ。これに勝ってなければ、徳川の名前は後世に残って無いのでは
武田 三線弦(5を選択)
死にかけて、味噌をつけるも、勝ち学ぶ
九死に一生の戦で、死ななかった。こんな体験は死ななきゃ出来ないところを助かった。だいたい大東亜戦争に往き奇跡的に生還した兵は、その後大抵の事じゃ死なない。
摂津守六文銭のだい!(5を選択)
大敗を喫したおかげで、その後の戦や考え方に大きな影響があったと思います。
青き巨星弾正少弼かみ(2を選択)
家臣団に一向宗の信者が多く、仏か家康かの選択により、それぞれが別れて戦っている。その後の戦後処理が家臣団の強さを高めている。三方ヶ原もキツイがそれ以前の小大名時代の話だから。
(7を選択)
この戦いで家康は甲斐と信濃を手に入れて大大名になった
shunchan(9を選択)
全てがこの戦の勝利で結実した。10はおまけ。
聖戦士尾張守ヒロフミ【✤】(9を選択)
三方ヶ原の戦いに完全に負けてたら、全国統一なんて夢のまた夢だったと思う。
ひでき信濃守(9を選択)
ここで負けていたら間違いなく徳川家は滅んでいた。しかも大坂夏の陣と違い、負ける可能性もあった。
pastorius(5を選択)
完敗しながらも生き残ったのが家康の強さかと。
中務卿一之介(5を選択)
大敗したことで、逆に学ぶことも多かったのだと思います。
ウツーノ越前守白起廉頗王翦(8を選択)
戦場では寡兵ながら圧倒するも戦略で不利になり豊臣家に臣従する形になるものの、豊臣政権ナンバー1を不動にしたこの戦いかと。
他にも家臣が徳川家の桶狭間は小牧長久手戦だ!と語ってる書籍を読んだので。
後の北政所征夷大将軍いしじぃ(5を選択)
脱糞しつつ命からがら逃げ帰った負け戦。この敗北が徳川家康を強くして、後の戦に負けない戦の知略を得たと思います。
豊川三河守いなりん(1を選択)
家康本人の戦功云々はおいといて、義元が戦死した事は最も重要だったと思う
玄蕃頭晴信(5を選択)
"若さゆえの過ち"を知った良い機会。
ぴょんさん(5を選択)
5・8・9のどれかかな〜とは思いますが一応5で。 合戦でなければ本能寺後の伊賀越えの成功。
天叢雲修理大夫風歌(1を選択)
桶狭間の戦いでしょう。
今川義元が討ち取られたことによって、独立そして天下取りと進み始めたから。
桜左近衛少将姫(5を選択)
あの絵を描かせたということはやはり意味あるものだったのかなと。
ドラガン尾張守店長(9を選択)
大敗してしかみ像、その後の家康を形作った三方原も捨てがたいが、やはり天下分け目の関ヶ原しかないでしょう。
武州左兵衛督 憧れの天守閣(8を選択)
一気に世の中が近づいた
右近衛中将黒熊(5を選択)
この大敗北があったからこそ、今後の礎になったのではないか。身の程を知るきっかけにはなった。普通に勝利していたら果たして…。
肖像画で己を忌まわしめる・退却時に脱糞するほどの恐怖感は如何程だったのか。
相模守愛洲久忠(8を選択)
伊賀伊勢での信雄軍の敗北に援軍を送れなかった家康ですが、領地を削り取られることなく講和できたからこそ、後の天下取りが成功したのではないでしょうか。
かめ〜右兵衛督(5を選択)
ここで死ななくてほんとに良かったですね。上洛を急いでいなかったら滅ぼされていたのでは(・・?
中務大輔真銀(2を選択)
負けたら即滅亡っていう意味での重要性なら・・・
結城近江守秀康(5を選択)
一生の教訓の絵を描かせた事からも分かります。
島袋豚(5を選択)
あの大敗があるからこの先慎重に行動できた思う
副将軍夢幻の如くなり(1を選択)
もし戦いが今川方の勝利したとすれば、家康の立場は謀叛でも起こさない限り、一生、今川の家臣に過ぎなかったのでは?この戦いで独立することが出来た事で、その後の天下穫りへの道が開けたような気がするから。
ムササビ39(5を選択)
大坂夏の陣でも死にかけたが、三方ヶ原で死んでいたら夏の陣は無かったから
鬼庭左月(9を選択)
関ヶ原で決まりでしょう天下分け目ですからね!
京極弾正大弼ぽて丸(5を選択)
全て、と言いたいところだが、やはり相手の動向次第で首の皮一枚で繋がったという意味でこれでしょう。
208 件中 51~100 件目を表示中