元禄赤穂事件、討ち入りは義挙であったか?(2015/12/10)
赤穂義士討入之図(個人蔵)
元禄15年(1703)12月14日、赤穂浪士47名が吉良上野介邸に討ち入った赤穂事件。この事件は『仮名手本忠臣蔵』のモデルとなったもので、俗に家臣が主君の仇を討った義挙であるとされている。だが結果として赤穂浪士は切腹となり、当時からこの事件の是非については論争が巻き起こっていたが、この事件は義挙といえるものであったか?
[投票実施期間]2015年12月10日~2016年01月02日
1.主君の無念を家臣が晴らしたというのはまさに義挙であり、浪士達が切腹となったのは残念であった。 |
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2.武士の魂が失われつつあった元禄の時代に仇討ちを実行したというのは義挙であると言える。 |
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3.そもそも浅野内匠頭が刃傷沙汰を起こした理由からして判然としないためどちらとも言えない。 |
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4.心情は理解できなくもないが、法治国家として討ち入りという手段は処罰されても仕方なく、義挙とは言いがたい。 |
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5.浪士達は世間が味方であることを理解した上で後の仕官などを見据えて行動しており義挙と言うには純粋さがない。 |
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6.浅野内匠頭の処分は幕府が下したものであり完全な逆恨みと言え、義挙とは到底言えない。 |
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7.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
島津大隅守龍伯(6を選択)
浅野内匠頭は生来キレやすくそれがもとの刃傷沙汰。それに対しての討ち入りは義どころではない。吉良も悪いことはあるにせよ刀を抜いていない相手に斬りかかっているので義挙ではない
Nabeppu左馬頭(4を選択)
法治国家的に見られば、この時代、仇討ち自体は何も禁止されているものではないので、キチンと届け出をしてから実行するべきだったと思う。まぁ、受理されないでしょうけど。でも武士としては立派です。
トムトム秋田城介(5を選択)
本音はこれでしょ。
不動隼人正大河(2を選択)
100%主観でいえばざまぁみろ綱吉、と言うことで義挙と言いたい。(笑)
仕官活動と云うけれど、お上の裁定に二年あまりもかけて用意周到に準備して討ち入った人たちを雇う藩があるだろうか?
まさまさ摂津守(1を選択)
あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし の辞世の句を考えれば、やはり1番かと
雑賀孫市(7を選択)
何も言えないなぁ!武士と言う生き方を、現在の僕たちは、話しだけで観たことも無いのだから
フレデリカ.G(7を選択)
悪質な殺人
鶴亀仙人(4を選択)
自分の立場が同じだったら、仇討ちに加わっていたら切腹を覚悟しただろうなと。
幕府も討ち入りを許しちゃうと示しがつかんし…
普通の答えですね(;^_^A
袖②良子♥】加賀守海里桔梗(4を選択)
その当時の世論的なものもあるんでしょうが、普段から聞いている忠臣蔵を思えばそういうことになってしまう。
庄内尾張守矢田(3を選択)
大石内蔵助は凄い人だとは思うが、浅野内匠頭の行動には、疑問だらけですね。
式部卿PINKGIN(7を選択)
浅野内匠頭がブチ切れなければ良かっただけの話。義虚でも何でもない。だから赤穂浪士は嫌い。
太政大臣錯乱坊(6を選択)
浅野内匠頭には精神疾患があったとも言われており、刃傷沙汰の原因も不明である以上、勝手な行動は許されない。
石川弾正少弼五右衛門(7を選択)
幕府の裁定は喧嘩両成敗の原則からすれば片手落ちであり、その裁定に意見することもできなかった背景から考えれば、幕府の誤った裁定に対する命懸けの反論だったのだと思うのです。
胎内市古文書会(3を選択)
大内内蔵助は誰かに唆された、という新説を私個人の見解とします。
A.T.権大納言(7を選択)
主君の無念とは何か?でしょう。
討ちもらした無念をはらすというだけで、何故討とうとしたかは考慮しないというのが朱子学の悪弊かと。
義挙かどうかの質問で言えば、朱子学的には義挙なんでしょう。
ただ左衛門佐(5を選択)
仕官がうまくいかなかったりして生活に困った人のみがやったことで、新生活がうまくいっていた人は参加してないんじゃないか?
maria右京大夫(6を選択)
吉良上野介が、お気の毒。
織田右京大夫青龍(4を選択)
すでに時代は変わっていた。今、このような事が起こると大変だが、それは元禄でも同じである。元禄はそう言う時代になっていた。
【不楽是如何】まつ2左近衛大将(4を選択)
物語としては楽しいけどね。
京楽秋水石狩守(5を選択)
大石内蔵助は別にして、日々の生活に困窮していた下級武士の仕官の為のデモンストレーションだったのではないか・・・
明石則実右大臣【二つ雁金】(6を選択)
そもそも幕府の裁定に不服があれば、申し開きをし、潔く赤穂城を枕に討ち死にするべきだった。それをせず市井に隠れて闇討ちの機会を狙うなど姑息以外の何物でもないでしょ。
琉照(2を選択)
喧嘩両成敗をしなかった幕府にも問題があり、直ぐに切腹させるなど、原因をしっかり調べず公平でなかった。商人が台頭してきてはいるが、まだ武士社会であり、義挙になるのではないでしょうか。
大久保遠江守常源(5を選択)
吉良上野介が不憫。
参議三枚もりそば(1を選択)
そういうことでいいのでは
京極弾正大弼ぽて丸(3を選択)
事件後の処遇や過去の松平氏と吉良氏の知行地における軋轢などを考えると、浅野氏というより吉良氏に対する幕府の陰謀を疑いたくなる。
石工集団穴太衆【兒】(7を選択)
この時代喧嘩両成敗が当たり前なのに浅野内匠頭だけが処分され吉良上野介は御咎め無し、だから主君の仇討ちは正当だと思う。
【三七郎】あきちい播磨守(2を選択)
播磨人としてはそうであって欲しいと願ってます。御公儀に伺いたいこと此あり?でしたかね
即日切腹はいただけないかと…
まさ宮内卿猛虎(3を選択)
仇討ち禁止の世に有って、前例からして世論を見方にしたものだが、幕府の解釈が一方的すぎてしっくりしない。
我こそは眞田左衛門佐幸村(2を選択)
義挙です。
まかろに兵部丞(3を選択)
吉良上野介と浅野内匠頭の間に何があったのか...
中務卿一之介(7を選択)
喧嘩両成敗のはずなのに、浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はおとがめなしという、幕府の裁きのあまりの違いに大いに疑問を持つ。
山名右大臣持豊(6を選択)
やってはいけない事をしただけの話
( *¯ ³¯)っ旦(3を選択)
234を合わせた感じです。
当時は当然だった付け届けをしなかった。
吉良の領地で採れる塩が良くなかったので、製法を聴いたが、浅野が拒んだ。
吉良は高家。
江戸城内での刃傷沙汰、切腹仕方なし。
プリン王子(7を選択)
再就職活動?
【麒麟】大宰帥しらいとはま(7を選択)
殿中『松の廊下』刃傷事件の真相・背景が謎〔浅野内匠頭は乱心したのか!?吉良上野介との喧嘩であったのか?〕とされている為…『義挙』〔仇討ち〕と云えるかどうかは判断に確信が持てない!!
相模守愛洲久忠(2を選択)
寛文3年の武家諸法度により殉死は禁じられていたが、義士たちは主君に忠誠を示す為に敢えて実行に移したのでは?
(2を選択)
主君の恨みを晴らしたいという一心で後先考えずに討ち入りしたと思う。
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