石川数正事件がなかったら上田城は!?(2021/09/28)
昌幸の采配に翻弄された徳川軍だったが…
第一次上田合戦で苦戦する徳川軍は、三河で石川数正が出奔した事件を受け、完全に撤退することとなった。
ではもし、数正出奔事件がなければ、徳川軍は上田城を攻略することができたか!?
[投票実施期間]2021年09月28日~2021年10月22日
1.続々と増援を送る徳川方が真田方を追い詰め、最後は力攻めで陥落させた。 |
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2.長期間の包囲によって城の兵糧は欠乏し、最終的に真田方が降伏開城した。 |
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3.徳川方は長期戦でも戦局を打破する術はなく、結局退却を余儀なくされた。 |
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4.昌幸の策に翻弄され、無為に攻城を続けた分だけ史実より被害は拡大した。 |
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5.上杉の主力が後詰に駆けつけ、徳川方は重臣級が戦死する大損害を被った。 |
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6.その他 |
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「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
鈴城左馬頭行脚(3を選択)
どのくらいの長期戦にもよるが緒戦の被害を考えると真田方が籠城と兵站と権謀とで事実通りに籠城で粘り勝ちしたと思う。
この場合に家康側の方が被害が大きかったと思う。兵の人的にも家康の権威的にも
太刀魚刑部大輔爆釣(4を選択)
真田丸、もう一度観たい!
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