列藩同盟が新政府軍に敗北した原因は?(2019/08/27)
会津若松城
会津、庄内両藩の「朝敵」赦免嘆願を目的に結びつき、後に新政府と対峙した奥羽越列藩同盟諸藩。結果としては各地において主だった藩が次々と降伏するに至り、同盟は崩壊することとなった。
ではこの同盟諸藩が新政府軍に敗北したもっとも大きな原因だと思うのは何か?
[投票実施期間]2019年08月27日~2019年09月19日
1.関東以西の勢力をまとめていた新政府軍に対し、純粋に戦力が不足していたため。 |
|
2.背景、イデオロギーが違う藩のまとまりであり、そもそも戦意が不足していたため。 |
|
3.当初から軍事同盟として結ばれた同盟ではなく、戦時における連携が取れていなかったため。 |
|
4.外国との戦闘などをくぐり抜けた新政府軍に対し実戦経験が不足していたため。 |
|
5.同盟の巨大化に伴う内部抗争や要所におけるいくつかの藩の裏切りがあったため。 |
|
6.その他 |
|
「ニッポン城めぐり」利用者のコメント
京楽秋水石狩守(2を選択)
第一はイデオロギーと言うよりは明確な大義名分の差でしょ、その上での戦略の差では?
左近将監ばなん(3を選択)
藩でのまとまりはあるけどなぁ・・・
いっしー図書頭中佐(6を選択)
はなから出来レースだったため。
༄第1空挺団༄(2を選択)
中央との戦いのように思われがちも、弘前藩など元から新政府側の藩との戦いがあり、同じ東北同士の戦いで士気が上がらない所に新政府との戦いが原因では?
白鳥 出羽守 長久(6を選択)
盟主たる仙台藩の弱腰だね。
援軍は出さない、新政府軍が仙台領内に入る前にさっさと降伏しちゃうし。
子連れ城狼琉球守(6を選択)
全て
直江山城守兼続(6を選択)
新型の銃や大砲などの装備や、戦略などの戦いに対する実戦の実力が違いすぎたため。
matsu権中納言(1を選択)
近代的軍備を備えた新政府軍との戦いにあたり、旧態依然とした軍備や作戦に甘んじ、近代戦争を熟知した戦略家や参謀も用意できなかったことが問題
美濃守不識庵拾玖(2を選択)
烏合とまではいかないにしてもまとまりを欠いた列藩同盟を、新政府軍は順番に各藩を撃破していったイメージ
小魔多右馬頭太郎左衛門(3を選択)
2,3,4どれも該当している気がするが…
伊豆守尚人(6を選択)
もっとも単純な理由としては新政府軍の戦略目標か明快なのに対し、戦略らしいものが見ず各個撃破されたとの印象。末期政権にはありがち。
もみじそうちゃん(4を選択)
戦争は理念ではない。当時の武士のほとんどは官僚化していたので、理屈でないところに弱さがあったのでは。今の私たちも変わらないけど。
蒲生石狩守さとぴょん(3を選択)
列藩同盟藩士の子孫としては辛い設問ですが、各個撃破された事が致命的でしょうね。
播磨屋大蔵卿(2を選択)
同盟の目標が明確でない上に寄り合い所帯だったから…白河・長岡・新潟がもう少し持ちこたえて会津攻城戦が冬になったら少しは違う展開になったかも。、
トムトム秋田城介(3を選択)
所詮、烏合の衆。
個々の思惑だけで集まっているから、疑心暗鬼でまよもに連携していない。
☯畿内鎮守兼宮内卿(3を選択)
たしかに奥羽越列藩同盟は戦いのためにできたしなー。•̀.̫•́✧( ・∀・)
えるパパ左京大夫(3を選択)
西国と違い外国勢の侵略に対する危機感が足らなかった
Forum2107豊前守(3を選択)
合従連衡…難しい
もん主税頭減量中(3を選択)
団結力不足だよね。
余語出羽守(3を選択)
庄内藩は新政府軍に対し連戦連勝し、領内に一歩も入れる事なく奮戦した一方会津藩などは新政府軍に対し屈っしている為連携が取れていなかったのでは?
(6を選択)
秋田藩の裏切り
藤原左近衛少将重家(4を選択)
1から5、すべて大きな要因だと思う。
その中で外国との戦闘から最新の兵器の重要性に気付いた新政府軍は、これらを揃えていき、実態として竹槍対大砲くらいになっていたのではないか。
おりゅう中務卿(6を選択)
全部そうじゃない?さらに、装備の違いも。選べないです。
さあさ上総介甲相駿三国同盟(2を選択)
錦の御旗。これでしょう。と言っても、原因は1〜4全てにあったのでは?
真田左衛門佐 信繁(3を選択)
定期的に訓練をしていれば、勝てるものも有った
175 件中 151~175 件目を表示中