名称(よみ) | 高城(たかじょう) |
通称・別名 | 新納院高城、高城城 |
所在地 | 宮崎県児湯郡木城町高城 |
天気情報 |
09/06(土) 降水確率:30% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 木城町役場教育課[電話] |
分類・構造 | 山城 |
築城主 | 新納時久 |
築城年 | 建武2年(1335) |
主な城主 | 新納氏、富山氏、土持氏、野村蔵人佐(伊東氏家臣)、山田有信(島津氏家臣) |
廃城年 |
元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、竪堀、井戸 |
再建建造物 | 模擬櫓、石碑、説明板 |
2025/07/21 20:02 薩摩相模守義弘維新斎
高城:木城町にある高城跡は、あの有名な島津氏と大友氏の戦いである〝耳川の戦い〟の舞台です。耳川と聞いただけで、島津氏ファンには嬉しくなる地に違いないと思います。城跡には、車で行くと駐車場がちゃんと完備されています。また、駐車場までの道に7つの竪堀があって、それぞれ標柱が設置されています。この城跡の見どころが竪堀のようです。更に、模擬天守からは木城町をよく眺められて、ここが城に適した場所だと考えます。何といっても島津氏は、この城で少ない兵で大軍に対して〝耳川の戦い〟や〝豊臣秀吉の九州征伐〟に耐えたのですから。今は公園となっており、桜が植樹されていることを想像すると4月前後に綺麗な桜が咲いているのでしょ...
2024/12/20 23:41 昌幸近江守更に吉
松山塁:切原川に突き出た舌状台地の先端に築かれた松山塁。直線距離で600メートル西にある島津軍の高城攻撃の拠点として二度使われました。一度目は天正6年(1578)耳川の戦い(高城川合戦)で佐伯惟教(宗天)率いる大友軍本隊が駐屯しました。そしてここに日本初の大砲「国崩し」を据え付けました。実際は射程距離の関係で届かなかったらしいです。二度目は天正15年(1587)豊臣秀吉による九州征伐で、弟の秀長が最前線として利用しました。縄張りは3つの郭を深い堀または二重堀で区切った城で、陣城の域を越えた大がかりなものとなっています。郭2はスロープなど削平されているところがあり後世に改変されている可能性があります。そ...
来月度の城主争い戦況
1位 ユウ右近衛少将さん 45回
2位 横山日向守忠篤さん 35回
3位 霞 結城さん 30回
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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