名称(よみ) | 沓掛城(くつかけじょう) |
通称・別名 | 沓懸城 |
所在地 | 愛知県豊明市沓掛町東本郷 |
天気情報 |
05/03(金) 降水確率:20% |
地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
問い合わせ | 豊明市生涯学習課[電話] |
分類・構造 | 平山城 |
築城主 | 藤原義行 |
築城年 | 応永年間(1394〜1428) |
主な城主 | 藤原氏、近藤氏、梁田氏、織田氏、川口氏 |
廃城年 |
慶長5年(1600) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(沓掛城址) |
再建建造物 | 石碑、説明板 |
2024/04/11 05:24 尾張守たまきち
豊明市役所産業支援課:御城印は豊明市役所2階の産業支援課で購入出来ます。沓掛城のパンフもありました。
2024/04/10 18:21 尾張守たまきち
薬師ヶ根城:沓掛城の支城。沓掛城主近藤景春は織田信秀の死去に伴い、今川方に寝返った。1560(永禄3)年には今川氏の家臣で今川義元の妹婿である浅井政敏に本城の沓掛城を明け渡し、自身は薬師ヶ根城へと移った。桶狭間の戦いで総大将の今川義元が討たれると、景春は織田氏の掃討軍の攻撃を受け討死。このとき薬師ヶ根城も廃城になった。城域は不明確で、碑や案内板は無いが、一之御前社(当時は創建されていない)の東方の薬師ヶ根辺りとされている。一之御前社から薬師ヶ根辺りには高台が続いていました。
来月度の城主争い戦況
1位 三河守ニコちゃんさん 26回
2位 剛力尾張守映影さん 20回
3位 磯子尾張守りいちさん 18回
戦人塚 桶狭間の戦いの戦死者約2,500人を供養した塚。現在も曹源寺の住職が供養を続けている。桶狭間古戦場とともに、国の史跡として指定されている。 |
高徳院 明治27年(1894)に高野山から桶狭間古戦場へ移転。敷地内には、今川義元の仏式墓所や本陣跡の石碑、今川軍の重臣・松井宗信の墓碑が残っている。 |
阿野一里塚 旧東海道の一里塚。慶長9年(1604)、徳川家康の命により、街道の両側に一里ごと設けられた。現在も道の両側に塚が残っているのは全国でも珍しく、貴重な史跡である。 |
桶狭間古戦場 今川義元の本陣の場所は諸説あるが、ここは唯一、国指定史跡となっている場所である。敷地内に点在する「桶峡七石表」は、義元をはじめとする今川軍7人の戦死場所を示すといわれる。 |
堀(遺構・復元物)
侍屋敷跡(遺構・復元物)
諏訪曲輪跡(遺構・復元物)
本丸跡(芝生広場)(遺構・復元物)
大手門跡(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
碑・説明板(碑・説明板)
碑(碑・説明板)
今川義元墓碑(碑・説明板)
今川義元戦死之地碑(碑・説明板)
今川義元仏式の墓碑(碑・説明板)
桶狭間古戦場碑(碑・説明板)
大脇城(周辺城郭)
傍示本城(周辺城郭)
沓掛砦(周辺城郭)
薬師ヶ根城(周辺城郭)
瀬名氏俊陣跡(寺社・史跡)
今川義元本陣跡(寺社・史跡)
今川義元公首検証之跡(寺社・史跡)
今川治部大輔義元之墓(寺社・史跡)
桶狭間古戦場 伝説地(寺社・史跡)
おばけ地蔵(寺社・史跡)
今川義元公戦死の地(寺社・史跡)
今川義元公駒つなぎのねず(寺社・史跡)
今川義元公本陣(寺社・史跡)
曹源寺(寺社・史跡)
豊明市役所産業支援課(御城印)
トイレ(トイレ)
桶狭間古戦場公園公衆トイレ(トイレ)
公衆トイレ(トイレ)
沓掛城駐車場(駐車場)
管理事務所(関連施設)
攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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