2022/01/29 14:38 猫耳◇□◁△▷▽⊿萌
織田信長公居館跡(曲輪402)
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織田信長公居館跡(曲輪402)
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永禄六年(1563)織田信長公は美濃攻略の新たな拠点として、清洲城から小牧山に居城を移しました。
小牧山城では、後の安土城に見られるような、山頂に向かって直線に伸びる大手道や、山頂部に近世城郭のルーツとなる石垣を築くなど、斬新で先進的な城造りを行いました。
また、近年の研究や発掘調査により、小牧山の東から北の麓に、山を取り巻くように武家屋敷を、配置していたことが明らかになりました。中でも、城の南東部にある曲輪402は、北側に続く他の曲輪が45㍍四方の規模の武家屋敷であるのに対し、75㍍四方と小牧山城の中で最も広い面積を持つため、信長公の居館跡ではないかと推定されています。城の麓に居館を持つスタイルは、岐阜城に先駆けるものとして注目されますが、中学校の運動場造成の際に削平を受けたため、発掘調査では堀などの深い掘り込みの跡しか見つかっておらず、どのような建物があったかは明らかになっていません。
説明板より
説明板が劣化している為、ちょっと読み難くなっているので直して欲しいです。