戸倉城(とくらじょう)

戸倉城 投稿者:こうひろ☽さん

城郭基本情報

名称(よみ) 戸倉城(とくらじょう)
通称・別名 徳倉城
所在地 静岡県駿東郡清水町下徳倉字和田入他
天気情報

04/03(木) 降水確率:50%
12℃[-7]10℃[±0] 詳細

地図 マップ周辺の城NaviConYahoo!カーナビ
問い合わせ 清水町教育委員会社会教育課[電話
分類・構造 山城
築城主 北条氏綱
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 後北条氏、笠原氏、武田氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、堀切
再建建造物 説明板
1.概要
2.参考文献


戸倉城(とくらじょう)は、駿河国駿東郡戸倉(静岡県駿東郡清水町徳倉)にあった日本の城。

伊豆国と駿河国の国境にあり、戸倉は本来は駿河国に属していたが、戦国時代当時は現地においては伊豆国の一部として認識されていた[1]

概要 

文明(1469年~1487年)年間に今川氏により築城されたとする史料(『龍泉寺記』)もあるが定かでなく、天文(1532年~1554年)年間以降の築城ではないかとする意見がある[2]。北条氏綱が築いたともいわれる[3]。伊豆と駿河の国境を守る城として重視された。

甲相駿三国同盟が破れた後、1568年(永禄11年)から1571年(元亀2年)にかけて武田氏と北条氏との戦いの舞台となった。1581年(天正9年)に北条の城将だった笠原政尭が武田氏に寝返り、戸倉城は武田氏の城となった。1582年(天正10年)に武田氏が滅亡した後は再び北条氏のものとなった。1590年(天正18年)に 豊臣秀吉の小田原征伐が始まると、北条氏の城兵は戸倉城を捨て、韮山城山中城に撤退した。

現在では戸倉城が築かれた小山を本城山と呼び、本曲輪だった山頂部が本城山公園として整備され展望台が置かれている。公園造成により遺構の状態は良くないが、本曲輪や二の曲輪跡、二重の堀切などをみることができる[4]

参考文献 

  • 松井一明 2009「戸倉城」『静岡の山城ベスト50を歩く』(加藤理文・中井均 編) サンライズ出版 pp.154-157

本解説文(基本情報を除く)は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「戸倉城」を素材として二次利用しています。

城郭口コミ


2025/02/17 07:18でぇすけ駿河守
戸倉城:泉頭城(柿田川公園)から向かいました。香貫大橋を渡り直ぐを左折して向かいます。その通りから本城山公園の看板通りに左折します。手前に出てくる駐車場入口が北駐車場へ繋がります。駐車場からは整備された遊歩道のような感じで10分程度でしょうか。その奥、北駐車場からよりも距離は短いようです。遺構はあまり確認できませんでしたが、本丸跡には説明板と、展望台があります。展望台には登ってみましょう。蛇行する狩野川や、連携のあった泉頭城方面ばかりでなく、四方がよく見渡せます。

2025/02/11 18:04信濃守あお
戸倉城:駐車場から10分程のきつい登り。三枚橋城と泉頭城と連携していたとか。三方川、残りは湿地帯だったみたい。頂上にキノコの展望台有り

城郭攻略情報


2025/01/17 11:09
umaso 中務大輔
先人の教え通り、東海道本線沼津三島間の最近接部で攻略。かなりピンポイントです
2024/04/14 23:18
心に京都を。征夷大将軍クララ姫
沼津商業高校前にて安定攻略だワン
2023/12/24 13:11

東海道本線沼津三島間の最近接部で攻略。かなりピンポイントです
2023/07/31 19:17
九曜紋東市正
御殿場線ではNG。東海道本線の最近接部(pinpoint)で攻略。
2023/06/26 13:20
あざらし肥前守
駿東郡清水町徳倉、金通山龍泉寺。(❜17・12攻略)

城主争い

来月度の城主争い戦況

 1位 みんみさん 14

 2位 真田 駿河守 昌剛さん 9

 3位 まおうさん 8

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