2024/05/12 02:22 _ClaD雅楽頭リアの季節
鎌倉時代からの豪族・東条氏の城とされますが、資料に登場するの...続きを読む 鎌倉時代からの豪族・東条氏の城とされますが、資料に登場するのは戦国末期に里見義頼と争う正木憲時の城としてが唯一です。
東側にある金山ダム建設のために大量の土を採って城域の一部が失われています。南東に開けた大きな削平地はそのときの改変と思われますが、それを南北から囲む支尾根に遺構が残ります。登城路に開けた南西の切り通しは改変のようですが、東の端には明瞭な虎口が見られます。
北西の尾根を登ると主郭らしき削平地や、その先には岩盤堀切があります。陽光観音像の前に車1台のみ駐められます。集落の東を回り込む道を歩くと途中から荒れてきますが、そのまま上り詰めたところが上記の南西側切り通しです。添付写真は観音像への道の分岐点にある城址碑で、城址からはかなり手前にあります。