| 名称(よみ) | 国府台城(こうのだいじょう) |
| 通称・別名 | 市川城、市河城、鴻之台城 |
| 所在地 | 千葉県市川市国府台3-3-1他 |
| 天気情報 |
12/07(日) 降水確率:0% |
| 地図 | マップ/周辺の城/NaviCon |
| 分類・構造 | 連郭式平山城 |
| 築城主 | 太田資忠 |
| 築城年 | 文明11年(1479) |
| 主な城主 | 太田氏、千葉氏、里見氏、北条氏 |
| 廃城年 |
天正18年(1590) |
| 遺構 | 堀、土塁、井戸 |
| 再建建造物 | 石碑、説明板 |
2025/11/15 20:49 マグロ常陸介祐平
弘法寺:弘法寺は、奈良時代に行基が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりとされ、平安時代に、空海が伽藍を構えて弘法寺と改称したとされます。その後、天台宗に改宗し、鎌倉時代になると日蓮の布教を受けて、時の住持の了性法印が法華経寺の富木常忍との問答の末にやぶれ、日蓮宗に改宗しています。常忍の子の日頂が初代の貫首となり、大檀那の千葉胤貞より寺領の寄進を受けています。お寺は栄え、室町時代になると真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展しています。徳川家康の関東入国で、朱印地30石を与えられています。幕末の戊辰戦争の際は、東北方面へ逃れる幕府軍が弘法寺に一時逗留しており、手児奈霊堂付近にあっ...
2025/11/14 21:29 マグロ常陸介祐平
国分館:千葉介常胤の5男、五郎胤通がこの地を領して国分を名乗りました。下総国分寺(写真1,2枚目)が館跡とされます。源平の合戦では、父常胤と共に範頼の軍勢として戦い、続く奥州合戦や畠山重忠の乱にも参加しています。後に御家人として香取神宮神領の地頭になると、そちらに移ったとされます。国分の地は、長男とされる弥五郎時通が継ぎますが、子が無かったようで、妻が地頭を継ぐと、その後は途絶えてしまったようです。香取神社の周辺を相続した胤通の次男常道(大戸)や6男常義(矢作)の系統は、後に国分を名乗り、戦国期まで続いています。また、奥州国分氏も胤通の子孫とされますが、確証はないようです。下総国分寺は、台地の縁に位置...
来月度の城主争い戦況
1位 GINTOKIさん 71回
2位 ひより修理大夫さん 68回
3位 須亭部叙武主さん 62回
市川関所跡(遺構・復元物)
明戸古墳石棺(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
下総国分寺跡(碑・説明板)
真間の継橋(碑・説明板)
下総国総社跡(碑・説明板)
国府台鳥瞰図・説明板(碑・説明板)
国府台合戦説明板(碑・説明板)
国府台城跡(碑・説明板)
里見軍将士亡霊の碑、夜泣き石(碑・説明板)
曽谷城(周辺城郭)
国分館(周辺城郭)
総寧寺(寺社・史跡)
国府台天満神社(寺社・史跡)
国分尼寺跡(寺社・史跡)
羅漢の井(寺社・史跡)
矢切の渡し(寺社・史跡)
矢切の渡し(寺社・史跡)
矢切神社(寺社・史跡)
矢喰村庚申塚(寺社・史跡)
須和田遺跡(寺社・史跡)
下総国分遺跡(寺社・史跡)
丸山遺跡(寺社・史跡)
姫宮(寺社・史跡)
弘法寺(寺社・史跡)
道の駅いちかわ(御城印)
いちかわ観光物産インフォメーション(御城印)
4号トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
アイ・リンクタウン展望施設(その他)
じゅん菜池(その他)
| 攻略数:城 家臣団:人 |
異名:個 官位:個 |
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