※この城郭は2025年4月6日に名称と位置が変更となりました。
星ヶ岡城(ほしがおかじょう)は、東京都千代田区永田町に築かれた城。現在、日枝神社が鎮座している周辺がかつての城域である。
歴史
築城年代や築城主などについての詳細は不明だが、
江戸城西南の台地上に築かれており、
江戸城の支城と考えられている。
享徳の乱が起き関東に戦乱が広がる中、長禄元年(1457)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が
江戸城を築城。以降、約70年にわたり
江戸城は扇谷上杉氏の重要拠点となった。文明8年(1476)、長尾景春の乱が起きると、
江戸城周辺でも景春に味方する勢力が蜂起。道灌は景春に味方した
練馬城、
石神井城などを攻撃するなど、周辺は緊迫した状況下にあった。
その後、小田原北条氏が台頭してくると、大永4年(1524)、北条氏綱が
江戸城に攻め寄せ、
江戸城は北条方の城となった。
このように、戦国時代の緊張感漂う情勢の中、
江戸城防衛のために星ヶ岡城が築かれたと考えられる。
遺構
ザ・キャピトルホテル東急の敷地が主郭にあたり、日枝神社が二郭、日比谷高校が三郭にあたると推察されている。
星ヶ岡城は開発により遺構がほとんど残っていないものの、日枝神社と日比谷高校の間に通る切通し状の道路が堀跡とされ、舌状台地を切断する堀を持つ典型的な中世城郭の構造と考えられている。また、日枝神社の境内には土塁の一部が残っており、日枝神社が鎮座する台地の高低差と合わせて要害性の高さを見て取ることができる。
なお、二郭に鎮座する日枝神社は古くからの江戸郷の鎮守であり、江戸時代に現在の場所に移された。日枝神社を現在地に勧請するにあたり新しく社地を整備したのではなく、星ヶ岡城として整地されていたスペースを利用して社殿が移されたと考えられる。
交通
・東京メトロ銀座線溜池山王駅から徒歩約6分、丸ノ内線
赤坂見附駅から徒歩約8分
参考文献
・『太田道灌と武蔵・相模』伊藤一美、戎光祥出版、2023年。
・『歴史読本43』藤井尚夫「江戸要塞化計画」、新人物往来社、1998年。
文:山城ガールむつみ