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横山党館遺構・復元物
富士塚

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2024/10/25 04:47 いれぶん武蔵守

大久保石見守長安が築き、頂上に浅間神社を勧請して本殿としています。 八王子は北西南を山地とした盆地上の地形ですが、南側の麓を松姫様の住まいとし、ほぼ山頂部にあたるこの辺りに富士塚と神社を置いた事で、宗教的な心の支えを甲斐からの移民にもたらしたのかなと思います。盆地の南に富士があるのは甲州と同じです。 浅間神社縁起  浅間神社は『木花咲耶姫』を祭神とし、一に富士浅間様とも言い、駿河国の本宮浅間神社から分社したものです。 慶長年間(1596〜1615)、大久保石見守長安が高さ約二丈(6m)周囲六十間(約109m)余りの塚を築き、頂上に浅間神社を勧請したのが当社の起原です。この場所は、往古より樹木生い茂れる森にて、藤森と言い、塚も藤塚と書かれておりましたが、富士浅間神社創立後は富士森又は富士塚と書くようになりました。 宝永二年頃(1705頃)社殿破壊に及び、延享二年(1745)改めて石造りの祠を再建しました。(現在の本殿内に安置されている祠になります)  例大祭は八月一日で七月三十一日の宵宮には参拝者で雑踏し境内には団子を売る商人が軒を連ね、この団子を食べる者は暑気あたりしないとの言い伝えに、別名『団子祭り』と呼ばれるようになりました。 この団子祭りの起こりは、明治の中頃社頭に住居して宮守をして居た者が、当社に献じた洗米で団子を作り、希望者に分け与えたのが始まりといわれています。例大祭に行う、湯の花の神事は心身の汚れを祓い清めて氏子一同が神に奉仕をする意味と共に、神事で行う湯立をした湯を飲むと『だんご』同様のご利益が得られると言われております。当社は子授かり、安産の神として信仰されていますが、その由来は、天照大神の御孫、瓊々杵尊の皇后である当社の祭神木花咲耶姫命が一夜にして身ごもったために夫の尊より疑いを受けた際、身の潔白を証明するため、産屋に火を放ち、火中で皇子を安産されたと言う故事に起因するものです。  現在の拝殿は昭和二年に大正殿(大正天皇の大喪の義で祭場殿として使用した建物)であったものを昭和二十八年に下賜、移設されたものです。(公園入口の『大正殿』の標石は昭和四年建立)本殿および天明六年(1786)に建造された本殿へ登る石の階段は、令和元年に氏子多数のご奉賛により新築・改修をされました。古い歴史をもつこの浅間神社は現在、台町一丁目・台町二丁目・台町三丁目・台町四丁目・万町二丁目の五町会でお護りされています。 お問合せ連絡先・八幡八雲神社社務所 042-623-0720 令和五年七月三十一日  浅間神社年番町会台町一丁目 (説明看板全文)

 

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