2019/08/25 06:22 野呂利左衛門督休三
忍城史跡碑
忍城十五門の一つ。門の前にあった橋はデングリ橋と...続きを読む 忍城史跡碑
忍城十五門の一つ。門の前にあった橋はデングリ橋とも呼ばれていました。変わった名前ですが、跳ね橋のことではないかと見られています。
門は南を向いた門で、碑の裏面側が城外になります。
上級家臣の屋敷街であった内行田(南に向吹門、東に大手門、北に北谷口門があり、西は沼橋門を通って藩主隠居所のある郭とつながっていた)と下級家臣の居宅がある天満一帯を結んでいました。
向吹、同心、江戸の各町は天満口門と向吹門の間のエリアで、往時はそれぞれ水路に囲まれていました。東側の天満口門そばが同心町で足軽などの軽輩の家臣が住んでいました。向吹門に近い北西のエリアが向吹町。その南が江戸町で、江戸詰の家臣の居宅地だったことから名付けられたとされます。